カトラリーレスト ITADAKI
フランス語 Mendiant「マンディアン」
マンディアン チョコレート = mendiant au chocolat【マンディアン・オー・ショコラ】。チョコレート菓子としては「マンディアン」だけで通じています。
お正月のパウンドケーキに保存していた昨年収穫の果実を入れて 恵みへの感謝と今年の豊作を祈りつつ
デコレーションを目でも楽しみました。
実はパウンドケーキの上に飾ったものは マンディアン
チョコレートに使いたいと思っていたイヌビワ(野生のイチジク)のドライフィグです。
その昔 フランスのショコラティエを覗くと美術品のように一粒ひと粒が整然とならぶチョコレートたちの中にひと際 鮮やかで大きめの そして自由さえ感じられる平たく丸型のチョコレートがありました。ドライフルーツやナッツなどが楽しそうに乗っています。どこかフランスに居ながらの視点として 異国情緒さえ感じたのが「マンディアン」でした。
何度かプレゼントに選んだことはあっても 当時意味を知ろうとしなかったなんて それこそ今では不思議です。
「サロン・デュ・ショコラ」は今では日本でも開催され
日本で手に入らないフランスのお菓子はない…と言っても過言ではない時代でしょう。「マンディアン」は特別感があるのに家庭でも作るのは簡単。しかしあの豊かな表情に仕上げるためには
色のバランスが大切。もちろん上質カカオを用いたチョコレートなら
真ん中に好みのヘーゼルナッツやくるみ、アーモンドなど一粒置くだけでも美味なのでしょうが マンディアンがマンディアンであるためには
幾つかの素材が飾られていなくてはならないのです。
そこで「マンディアン」とは?ということになります。
お好みのドライフルーツやナッツ、または アラザンなどを飾ったり または色違いのチョコレートを溶けている状態で組み合わせマーブル調にしたり 自由自在の「マンディアン」。もともとは mendier = 物乞いする、助成を請う、懇願する、「施しを受ける」という動詞で 名詞形の mendiant は「施しを受けるもの」そして「托鉢修道士」のことを意味します。
フランス語に親しみ始めたころ 英語に比べて少ない語彙でいろんなことを意味するような印象がありました。
物乞いをする者を「放浪者」という言葉と比較することもできますが
放浪者にはほかに vagabond【ヴァギャボン】という名詞があります。これは修道士という意味合いにはならない
英語で言うところの drifter、wanderer のような浪漫が広がりそうな単語ではないでしょうか。
mendiant【マンディアン】は 干しイチジク、干しぶどう、アーモンド、ヘーゼルナッツという取り合わせを意味し 料理用語となり
そして 色味のニュアンスを人々に連想させる言葉でした。
修道着以外に自分の財産を持たない修道士だからこそ 色に大切な意味があったのでしょう。
「マンディアン」は 修道会の服装から
ドミニコ会(白)=アーモンド、アウグスチノ会(紫)=レーズン、フランシスコ会(灰)=ドライフィグ、カルメル会(茶)=ヘーゼルナッツを由来としています。ドライフィグを灰色とするところも異文化を感じますが
乾燥すると少し色があせることから捉えられないこともありません。
4大托鉢修道会は中世中期のローマカトリック教会におけるもので私有財産を認めないため 修道士は托鉢を行い
善意の施しを乞うのです。
「托鉢修道会」を理解しているところとして ヨーロッパの人々は歴史としての「托鉢修道会」を 土地や富を蓄えることを否定して
街や農村を歩き回り 信者からの寄付のみで生活しながらキリストの教えに忠実に生きようとする修道士たちの組織だと理解しています。
「托」は「托する=のせる」、「鉢」はお布施を受ける器です。
イエスと使徒たちがそうだったように 定住せず、清貧を貫き、ひたすら教えを説く人々のことを基本的に知っていた上で
表現として使われたのが「マンディアン」なのです。
ヨーロッパの中世中期とは12-13世紀。
そのころ
4大托鉢修道会の象徴的な服装の色が認知されている時代の人々によって「マンディアン・オー・ショコラ」呼ばれるチョコレート菓子が生まれたのです。
アルザス地方には同じ由来でパンプディングの家庭菓子もあります。
自由に あるもので 手作りを味わう「マンディアン」をデコレーションするとき ニュアンスの違いを感じたら
このお菓子の由来に立ち返る。つまり基本に帰ればいいのだと思いました。
そうすれば初めてマンディアンをショーケースの中に見入ったときのあの写真にも残っていない
記憶の中の映像とぶれることのない印象をとどめたまま「マンディアン」を完成させることができます。
あくまでも自己満足に過ぎないこの感触 これこそがものづくりには都度大切なエッセンスでもあります。