天使のころもBaby
社名を「ユーコウ産業」と名付けました。
夫婦二人三脚で始まった起業。
家内の内助の功がなければここまで来れなかったという、福田社長。
社長は設計担当。
そして奥さんは組み立て、包装、出荷、経理と一手に引き受ける。
今でも足を向けては眠れない。
お客様に喜んでいただけるものを供給することを第一に考えやってきたが、
最初の10年ぐらいは激動の時代。
しかしそれを乗り越えて今がある。
だが、油断は禁物。
奢るな、甘えるなと、社員にも教育している。。。
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人様のお役に立ちたい、何か有効なものを提供したい…そんな思いから、
社名を「ユーコウ産業」と名付けました。
若い者が、さらに下の者を教育する。
それが現場に基づいた自社の教育方針だ。 自分が作った品物が、
社会のどんな場面で活用されているのかを教えることで、社会に貢献できている実感を
持つことができ、社員一人一人のやりがいにつながる。
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~廃材で土壌改良を~
「日本の再生は森と中小企業から。
(株)テサキ製作所の炭焼き窯は、その森と中小企業を繋ぎます。」
板金加工に使用される材料の金属板は、木製パレットに載せられて運搬される。
この木製パレットは都度焼却処分されていた。そこに目を付けた手崎社長は、
なんとかこの木製パレットを有効活用できないかと考え、炭焼き窯の開発に着手し、商品化した。。。
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http://monodukurirensa.blogspot.com/2012/03/vol6.html
~木質炭化学会 承 -偶然でなく、必然として- ~
「日本の再生は森と中小企業から。
(株)テサキ製作所の炭焼き窯は、その森と中小企業を繋ぎます。」
新聞記事で学会の存在を知った手崎社長は、開発途中の炭焼き窯をワゴン車に積んで、
学会が開かれる東京の会場まで走った。
出会いに偶然は無く、全て必然だというが、手崎社長と木質炭化学会での出会いはまさに必然だった。
この出会いが、暗礁に乗り上げていた炭焼き窯の開発の突破口を開いた。。。
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