旧大阪府庁舎跡の現地説明会に立ち寄ってきました

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 ご存知の方もおられるかと思いますが、和泉市に移転する前、産業技術総合研究所(工業技術研究所 ⇒ 工業奨励館)は大阪市内の江之子島に在りました。ここには、元大阪府庁舎として建てられて、その後、工業奨励館の本館として使用されていましたが、戦災によって、研究所の移転前に「旧館」と呼ばれていた地上4階、地下1階の建物を残し、消失しました。

大阪府文化財センターが開催する府庁舎跡調査の現地説明会を聞くために、約15年ぶりに訪れた研究所跡地は、旧館を除く全ての建物が撤去されており、発掘によって出てきた”煉瓦”や”礎石”だけなので、明治時代にタイムスリップしたような印象をもちました。

そして、『工業奨励館』と呼ばれていた時代、どの様な研究が行われていたのかを知らないことが気になり、すこし、調べてみました。


◎発掘現場について
下記の中央ドーム辺りは位置関係が多少ずれているかもしれませんが、研究本館、実験棟や研修会館に囲まれた中庭(空き地)で、昼休みの軽い運動スペースという記憶がよみがえります。
なお、発掘調査の詳細は、財)大阪府文化財センター http://www.occh.or.jp/ にお問い合わせください。


     
南東の隅から                     中央ドーム部

◎研究所について
この地に工業奨励館が設立されたのは、昭和4年4月です。その後、昭和7年4月に大阪府金属材料研究所が併設されました。
残念ながら、研究所の図書室には、昭和24年5月には発行された「大阪府工業奨励館報告」より以前の資料が見つかりませんでした。
たぶん、戦災で建物と供に消失したと思われます。

初期の工業奨励館報告を紹介しますと、第1回(昭和24年5月)に用いられていた紙は粗雑ですが、2年後の第3回(昭和26年7月)では紙質のよい物に改善されていますし、淡いレモン色の厚紙、書誌の名称部分の文字に茶色が用いられて、レイアウトも現在のものに近くなっております。下記に、工業奨励館報告書の第1回から3回までの表紙を示します。




研究論文等は、技術史という観点でなければ約60年も前となると手にとることなどめったになくて、開架されていることは知っていましたが、今回、初めて第1回の報告書を閲覧しました。目次を見ると、「各種鋼材に対する高周波焼入れについて」、「鋸屑、モミガラ瓦斯発生について」にまじって、「鉛筆に関する研究(第1報)」や「化粧品硝子容器の意匠」などについても報告されていました。
これらのテーマが、府下の企業に対してどの様な役割を果たしたかについては、履歴を辿っていないので十分把握していませんが、緒先輩らは戦後復興期の礎となることを目的にテーマを選択されたような印象を受けました。下記に、第1回報告書の発刊の辞と目次を示します。