プラントポット ハチ
知り合いで、一緒にNPOの理事をしていただいている広島大の千代さんが監修したコルビュジエ関連の展覧会が開催されています.
ギャルリータイセイ「ル・コルビュジエ:フィルミニの教会-光の軌跡-」展
森美術館ル・.コルビュジエ展
千代さんはコルビュジェを中心にした建築デザインの研究家で、特に2006年に完成したフィルミニの教会の展示は興味深そうです.かなり線の細い華奢な方なのですが、フランスやインド、アフリカなど各地を飛び歩いています.
どちらも夏頃まで開催されているので、私も機会をみて行ってみたいです.
奥出直人さんの「デザイン思考の道具箱」を読みました.
メーカーでの従来の「新商品」というと、既存のチャンネルに対して既存の商品に新しい機能や価値を加えたものを開発するというものが殆どでした.その場合の開発手法はどちらかというと技術オリエンテッドなものが多く、技術革新によって商品そのものの価値を大きく上げる事に注力されていました.
ただ状況は大きく変わり、テクノロジー自体のコモディティ化が進んだことで、技術を「どう使うか」という事が注目されています.確かに、以前の会社でロボットの開発をしていた技術者が、「たいていの事は技術的にはやろうと思えば出来る.だけど、それをどう組み合わせて良い商品(ここではロボット)にして良いか解らない.」と言っていた通り、イノベーションは技術そのものから、技術をどう社会化するかということに変わっています.
この本では、IDEOのデザイン手法とそれを発展させた経営手法をベースに、日本的な経営にフィットさせた手法として、デザインの手法をより進化させて、ビジネスの様々なプロセスでのイノベーションを加速させる事を説いています.デザインに関しては、単なるスタイリングや商品に新しい価値を加えるという事ではなく、イノベーションの手法とされています.
本の中でも何度もiPodのイノベーションに関して触れています通り、iPodやiTunesは技術的にはそれほど新しいものではありませんでしたが、それらを使って新しい生活の価値を提案することにより莫大な売り上げを上げています.最近の例ではiPhoneと国内の「デザインケータイ」を比べると解りやすいです.
そのような「イノベーション」を行う組織や人材の育成というと、そのようなスキルを教える教育機関は無いし、企業内でも個々人のタレントに期待するレベルでした.デザイナーは定性的な価値をどう高めるか、ということを日頃考えて活動をしていますので、そのようなスキルを一番持っている人種といえると思います.
ただ、この本の中でも一部危惧されていますが、デザインの現場を見て感じる問題点は、
・意思決定者がそのような新しい価値(つまり定性的な事がイノベーションであること)に対して理解できない.
通常ビジネスの現場では、マネージャーは定量的な指標でジャッジメントをするので、デザインや使い勝手などの基本的な定性的価値ですら、個人の好き嫌いや投資額のみで判断される場合が多くあります.
これは、iPod以降も単に機能だけまねた商品が日本メーカーから発売され続けている事でよく解ります.単にウォークマンの後追い商品の様な感覚で、機能や形状をまねる=iPodと同様な価値を提供できる、という勘違いを意思決定者がしている事に拠ります.
・デザイナー自身のタテワリ意識で自身の価値をビジネスのイノベーションに発展できない
特にインハウスに多いと思いますが、コンセプトをスタイリングに落とし込む事には力を発揮しますが、総合的な商品価値を上げる為のより広い領域への参画にしり込みするケースが多いように思います.これは、個人の資質の問題よりも、教育機関や企業内でのOJTのあり方が(当然ながら)古いままであることが問題なのだと思います.
ただ、IDEOなどのデザインの手法をアカデミックに分析して商品開発に結びつける企業が増える中、デザイナーのあり方というものは本当に変わっていかないといけないのだと、この本を読みながら強く危機感を持ちました.
とにかく、芸術系の大学でデザインを教える時代は終わったのかもしれません.
けんちくの手帖へ.駒井貞治さんの「借家生活」というテーマでした.
「建築をデザインする」ことに辟易した駒井さんが、借家を構造に触れないレベルで改造し、その部材を持って次の家へ引っ越すというプロジェクトを中心に建築というものを捉え直したお話で、非常に面白いものでした.
その場にある借家を自分に合わせる為に、身近なもので作り上げる手法を見ていて、ブリコラージュの手法だと感じました.イベント後雑談していると、元々建築はブリコラージュ的なものだったとの指摘がありましたが、現代の「キッチリ設計する」建築に比べるとかなりブリコラージュ的といえると思います.
プロダクトデザインでは、エンジニアリングの思考で構築され「寄せ集めて自分で作る:器用仕事」的な事を排除した事で成立していきました.しかしながらブリコラージュ的な考え方は、エコデザインの観点から「その場での生産と消費」する為の手法として有効だと思います(seccoなど)し、オルタネイティブで小規模なデザイナーメーカーの活動は、そういう傾向があると言って良いと思います.
そういう意味で、建築の世界ではこのような感覚が認知されつつあるのかもしれませんが、プロダクトデザインの分野では殆ど誰も知らない考え方なので、もっと掘り下げてみる必要はあるでしょうね.
某書店より入荷の知らせがあったので、ロボットデザイン概論を取りにいきました.
ざっと読みましたが、かなり良い本です.
内容は、ロボットのデザインという以前にデザインやデザインのプロセスそのものを丁寧に解説してあり、その上でロボットのデザインを論じてあります.著者の園山さんは、エンジニアやデザインの勉強を始めた人に読んで欲しい、と言われていましたがまさに教科書的な内容です.
デザイン(特にプロダクトデザインの分野)のプロセスというものは我々デザイナーは何気なく行っていますが、実際にはそれほど体系立ったものもなく、書籍も少ない分野です.この本はかなりその部分も細かく解説してあり、実践的な内容です.
また、何よりロボットのデザインを、単なるスタイリングや象徴的な意味ではなく、人間との関係性の中で形成されるより広い意味のあるものである、というメッセージを非常に解りやすく説かれています.だからこそ、ロボットのデザインは、美大を出た人間だけではなくエンジニアなどの総合的な知識を持った集団の個々にその必要性があるということがよく解ります.
とりあえず、書店から某美大の授業に向かいましたが、冒頭1年生に対してこの本を勧めて、ついでにロボットのデザインの面白さを伝えました.若いデザイナーがロボットのデザインに具体的な興味を持ってもらえれば、この本の意義があるといえるのでしょう.
積んだままになっていたのを最近読み出した一冊.電車乗る時間が少ないので、読書の時間が減っています.(笑)
奥出さんが慶応SFCでのインタラクションデザインの手法をまとめたもので、結構IDEOに近いものになっているようです.内容に関してはまだあまり読んでいませんが、中々良さそうな本で「デザインマインドカンパニー同様、経営者に対して読ませるプロダクトデザインの本」の代表的な一冊になりそうです.
デザインや商品企画というのは単なる手法ではなく、企業の姿勢だったり経営者の資質が如実に現れるものです.アップルと他の日本の総合家電メーカーのインハウスデザイナーの、スタイリングのスキルにそれほど差があるとは思えませんが出してくる製品の「総合的な」デザインは歴然とした差があります.これは、本当はデザインの差ではなく経営の差なのですが、そのことに対してインハウスデザイナー自身でさえあまり自覚していないフシがあります.
そういう意味では、奥出さんの様に「芸術や美術、デザイン学部」以外のところでデザインを考える方が正しいのかもしれません.
3/31~4/1の日吉窯元まつりへ行ってきました.これは、京都女子大の裏手にある日吉地区の窯元が集まって開催する陶器市です.古くからの窯元が集まっている所なので、レベルの高い作品が多いのが特徴です.お世話になった方に挨拶をしながら、色々と回りました.
ここの陶器市はそれぞれの窯に直接入る事が出来、普段の仕事場に作品を並べて、作った本人が色々と作品の解説をしてくれます.
小さな家族でされている工房では、ウイリアム=モリスの意匠からヒントを得たり金文文字を使ったりしながらも、清水焼の雰囲気を守っている作品を製作していて、その作り方やデザインなど色々と作家の方から伺う事が出来ました.
以前に窯元の方にお話を伺った際にも、手作りである事、伝統工芸である事の意味合いが上手くユーザーに伝わっていない点が問題だと感じました.要は中国などで作られている安い食器(でも機能的には充分)のものとの価格の差がユーザーの立場で説明できない所です.
作品のデザインや機能性などを窯元の方は色々と工夫されていて、本当に面白い作品も多いのですが、そういうコミュニケーションのデザインが殆どなされていないので、それが伝わらないのかもしれません.
こういう陶器市で直にユーザーと接する機会があると、すごく良いコミュニケーションがとられているので、可能性は大いにあると思います.
一口にブランディングというコトバでくくる事も出来ますが、リソースも限られている中でより細かいデザインをする必要を感じました.
結局あれこれ悩みながら、いくつか器を安く買いました.使ってみると、良い器とそうでないものとの差は歴然です.