明晃印刷株式会社

此の頃ですが・・・

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本当に問い合わせが多くなりました

NHKでニューヨークが今活版印刷で湧いているという事

各地から本当にメール 電話等で問い合わせが多数

今年になって本当ににぎやかな工場になっています

本日も5人の工場見学 来週は専門学校 デザイナーの卵さんが

来られます

誰でも駄菓子屋間隔で本当にレトロ モダンな昭和初期の建物の中に

活版ワンダーランドをご覧くださいませ

 

 

http://www.opus-design.jp/flip/item_104.html

http://d.hatena.ne.jp/printing_consultant/20100510

http://kengaku.osakazine.net/e263696.html

 

一回死んでるから 笑









4年前の今ごろ

一回死んでるからなー 笑

本当に今から考えたらええ経験と時間やつたなー

コロナの全盛期 流行には敏感な俺

病室のベットでたくさんの管につながれて

天井の穴の数数えとったわ 上しか見れなかったもん

一回死にかけたから考え方も生き方も変化していった

本当に感謝して大切に命の時間を過ごしたいと思う
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今ある奇跡は多くの犠牲の上に成り立つ






知覧平和記念館に行ってきた

今生きれているのは多くの犠牲の上に成り立っている

そのことを再確認させていただく体験をさせていただいた

たくさんの特攻前日の遺書を読ませていただいた

涙が止まらなかった どういった心境でどういった心構えでそんなに

強くなれるのか いやいや強くはない 

俺ら同じ人間でどんだけ怖かったのか

20歳になるかならないかの子供たち 

遺書には「お母さん」という文字が

多々遺されていて・・・ 

心を察することさえそんな簡単なことではなかった

今ある私たちの生活や日本という国は

多くの犠牲の上に成り立っている

毎日当たり前の生活ができるという奇跡 

明日という時間を見れなかった英霊の御霊

再度心を改めて一日一日 

先輩方に感謝を忘れず当たり前というこの奇跡に今一度

向き合って命を全うするまで生きようと思った(この記事には画像があります。画像部分は外部ブログサイトで見れます。)



自分の秘密基地






この頃はなかなか行けてない

自分だけの秘密基地

スイカ冷やしてワイン片手にええ感じ

本当に人一人として誰も来ない まぁ奥地

小さい時はこういう秘密の場所って絶対持ってたよな

最近は本当にバタバタしてしまっていけてない

最高の秘密基地(この記事には画像があります。画像部分は外部ブログサイトで見れます。)



少し仕事の手を止めて 8時15分 黙祷





本日8月6日 8時15分

少し仕事の手を止めて黙祷をしましょう

戦後から80年 諸先輩たちの苦労 苦難を

もう一度心に刻みながら・・・(この記事には画像があります。画像部分は外部ブログサイトで見れます。)



新婚のアドバイス






新婚の女の子が会社にきてお話をした
仲良くこれからやっていけるコツを教えてくださいと
俺にそれ言う 笑 俺も結婚してもー32年になる

そう考えたら長い月日やなって思うな・・・

まぁ俺の場合は参考にはならんけど手のひらの孫悟空やから
俺がいきがったところで色々見透かされてるから

俺は自由気ままに活かせていただいたとこの年になって思う
子供は血がつながってるけど結婚する相手とは全く血が繋がって
ないんやから お互い他人が所詮一緒に一つ屋根の下なん

やからなー
まぁうちが長く続いている要因としてはすべて「自由」ってことやな
これに尽きるかな お互い好き勝手やってよし 自己責任はきっちりと
とるってこと 子供たちの教育もそう 基本すべて自由 何も干渉しない

自己判断で生きていくこと 俺はそう思うのよね

だから面白いよ 家に帰っても誰もいない時も多々あるし
でも気にしない ご飯だべて寝る 笑 そのうち帰ってくるし
個々自由に予定作って個々自由に暮らしてる

家とか家族は収集がかかれば集まる感じかなー
ある意味お互い普段は何をしてるのかわからないもんな 笑

でも集まるときは集まるから不思議なチーム
そういう自由がうちの家族にはあるからなー(この記事には画像があります。画像部分は外部ブログサイトで見れます。)



英霊の御霊






靖国神社

今年は戦後80年になる

我が先輩たちがいてこそ今の生活がある

そのこともう一度心に深く刻んで生きよう

今の日本は先輩方の犠牲の上に成り立っている

日々当たり前のことでなく深く感謝しなければならない

本当にありがとうございます
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不幸中の幸いはある





先日相談に来た子 もーダメです もー無理ですと
そーなんや どーしたん いろいろと話を聞く
ちょつと落ち着いてその問題を考えてみよか

一回整理して考えてみよ 
その不幸の中身も整理していくことで
何に対して無理なのかダメなのかわかるかもしれない

簡単に解決のできないことがあるかもしれないけど
考え方を変えることできることもあるかもしれん
人間どんなに四面楚歌や万事休すの時でも何かしら

方法は出てくるものでそれは根本的な解決策でなくても
精神的にというか捉え方考え方で軽くもなるし
要するに不幸の中にもちっぽけ幸運もあるかもしれないで

色々と直面する不幸はある意味課題かもしれないし
言葉は悪いかもしれないけど アンドレ・マルローが言った言葉

「死ぬこと以外はかすり傷」
という言葉
俺も今まで四面楚歌なんかたくさん経験してきてる
その時はおそらく今の君みたいに

落ち着いて考えることなんて無理やったけど
今現実に生きて生活もしてるから

すべての起こりうる物事に対してはその物事を

どう捉えるかで変わるという勉強は経験値でさせていただいた
ごめんね あまりアドバイスにはなってないかもしれんけど

具体的には今その問題の中にある小さなラッキーを探してみよ
ラッキーという言葉は失礼かもしれんけど不幸中の幸いは必ず
あるから(この記事には画像があります。画像部分は外部ブログサイトで見れます。)



第一印象で8割







私のところにたくさんの問い合わせがくる
最初に言うけど俺は営業は全くしない
他店との比較もいらない

それくらい自分の作品に関しては
自信を持っているあの会社はこーやった 

この会社はこれくらいだと
そしたらその会社にいってくださいと言う
商品と考えていない 

すべて自分に残る作品と考えている
だから作品はお客様の許可が前提ですべてアップしている
恥ずかしい作品ならアップできない 

すべて自信作
たかが名刺されど名刺で 
俺がいうのもなんやけど
自分の仕事に対して誇りがあるなら

名刺にこだわりお金をかけることは
必要だと思うファーストコンタクト 
第一印象で8割ほど決まると

俺はいろいろと商売していて思う
外車のディラーにしても

仮にロールスの営業がよれよれのスーツで来るか
パリッとした上から下までピッシリ決めてるのが
当たり前やと思うでも反対に覚悟はいる 
一度作れば普通には戻れない(この記事には画像があります。画像部分は外部ブログサイトで見れます。)



距離感と人間関係






先日娘に言われた お父さんの社交性は羨ましいと

俺には普通のことなんやけど・・・

昔から誰とでもすぐに

打ち解ける感がハンパない

多分それは親父からの遺伝やと思う

小さい時親父と町を歩いてると親父は

いつもおー元気か と挨拶がてら

誰にでも声かけてたので俺は何の知り合いやというと

いや知らんねん よく見かける人やから・・・と

そんな俺もそのままそれを受け継いでるのかも

昔からいろいろな商売を俺は立ち上げてきた

自分の実力はないんやけどお祭りの屋台の上で

いつも躍らせていただいた そうそう

知らない間に周りに人が溢れてくる

仕込んでもない 普通にしててそんな感じ

東京の時代もみるみる人が溢れてきて

大きな組織にもなった 大阪に帰ってきても

親父の印刷業を継いだら関西活版クラブという

組織が自然と人が集まり組織ともなった

でも今その俺の距離感も少し注意しなくては

行けなくなった 今の時代距離感で色々な障害が

起こりうるということ 本当に人間の関係が気薄に

なってきていると俺は感じる

まぁこれからの人達はどーやって距離感を図って

行くんやろと俺は思ったりもする(この記事には画像があります。画像部分は外部ブログサイトで見れます。)



自分を納得させる夜






「自分を納得させる夜」


昨日のストーリーにも上げたけど

人間というか生き物全般にいつかは

一線を退かないといけないときは来る

要するに引退ということ

それが自分の意志に反して突然にくるのか

例えば病気とか それか任意で自分で

決断を迎えるのか

自分ではまだまだ現役のむつもりが

やはり時は経ち新しいこれからの人が台頭してくる

そこを無理してまでもその立場を維持するのが

よしとは限らない

俺はスポーツばっかりやってたからその部分で

三浦カズなんかも尊敬している

現役続行ですごいなって感じはするが
ある意味「イタイ」感じも否めない
カズに気を使って若手はほとんどラフは

ギリギリなプレーはしてこない

そこが俺は「イタサ」を感じる
気を使われてプレーされること自体俺から

とっては屈辱しかないからである

俺は野球をいまだにやっている それも投手

エースで頑張ってる チームメイトは

バリバリの20代や30代

俺は20代の時は地元の豊中では有名で

かなりのスピードが出て決勝戦にまで駆け上った

今ははっきり言ってスピード一本では歯が立たない

いわゆる技巧派になってる それは年齢とともに

仕方ない 打たせて取るタイプのスタイル

コントロール重視でのピッチャースタイル

今は周りがうまいのでそれでも決勝までは

いつも常連にはなってる 九勝一敗

あと一勝すれば自己キャリアハイの二桁勝利投手

いつもまで続けていいものか

昨夜はいろいろと考えてしまった

これからの人生の中でこういうシチュエーションは

多々現れるんやなって思ったけど

これはごく自然なことなんやと自分にも納得はさせる

夜でもあった(この記事には画像があります。画像部分は外部ブログサイトで見れます。)