常磐道旅日記@東京スカイツリー

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先週末、都内から霞ヶ浦方面に向かって、首都高を走っていましたら、右側に建設中の東京スカイツリーが見えてきました。

東京スカイツリー1

 

 

 

 

 

 

 

生で見るのは初めてなのですが、どこかで見たことがあるな~と思ったら、映画「三丁目の夕日」のなかでの東京タワーでした。

東京スカイツリー2

 

 

 

 

 

 

 

ここ墨田区向島には、港区芝公園と違って周囲に高層ビルがないためか、そんなに高く感じませんが、現在の東京タワー(333メートル)とほぼ同じ高さです!

そして、2年後の開業時には、この2倍の高さ(634メートル)になるらしいです。

完成が待ち遠しいですね! 

 

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ネジザウルス・タカサキ的 東京スカイツリー

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映画「三丁目の夕日」は昭和33年、東京タワーが完成する年の東京の下町が舞台になっていました。昭和30年生まれの私にとっても、勇気と感動を貰える素晴らしい映画でした。

「あの頃の日本人はこんなにも人間らしく、一生懸命に生きていた。」

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それでは、東京スカイツリーが建設中の日本を舞台にした、2060年公開の映画「向島1丁目の夕日(仮題) 」はどんなテーマで描かれるのだろうか?

当時の最先端機器として、iPhoneやEV車、ハイブリッドカーなどが懐かしく映しだされる。

「あの頃の日本人は、ロボットをおもちゃのような感覚で見ていたが、2060年の今では・・・・」

日本橋のストリートフェスティバルで、通天閣ロボットが大阪市長から住民票を手渡されている映像が、(2060年では当たり前になっているため)面白おかしく映し出される・・・・

「あの頃の日本人は、かろうじてGNP世界第2位をキープして、豊かな国であったが、2060年の今では・・・・」

「あの頃の日本人は、国家ブランドランキングで、米国、フランス、ドイツ、英国に次いで、5位をキープして、プライドを持っていたが、2060年の今では・・・・」

この、「向島1丁目の夕日(仮題) 」が公開される2060年まで私が生きていられるかどうかは心もとないが、少なくともこれから50年後の日本に対して、私達の世代が責任を持っていることは確かです。

「あの頃の日本人は、高度経済成長からバブル崩壊、失われた10年、20年、リーマンショック、グローバル化の立ち遅れ、政治の混乱などによって、自信を喪失し、進むべき方向を見失いかけていた。 しかし、2060年の今は、日本の文化をベースにしたデザイン、熟練のモノ造り、環境、ロボットなどの分野での地道な研究活動をベースにした世界的な発明貢献、歴史的な遺産と観光ビジネスなどによって、世界の国から尊敬される平和国家になった。東京スカイツリーが建設された2010年代がその出発点であった。」

というようなテーマの映画であれば、是非とも、長生きして見たいものである。