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先日、関西テレビで、ドキュメント・ものつくる人々「生野から世界ブランドへの挑戦」という番組が放映された。
この番組で放映されたのは、
生野区のものづくり異業種交流グループ「フォーラム・アイ」の活動についてである。
このグループの代表幹事をされている吉持製作所の吉持剛志さんとは、今年の3月まで大阪商工会議所 東成・生野支部の経営相談員をしていた関係上、懇意にさせて頂いている。
かなり以前からテレビ局から取材を受けていることをお聞きしていたが、吉持さんのブログでいよいよ放映されることを知った。
番組では、デザイナーの山崎充昭さん、吉持さん等、フォーラム・アイのメンバーが、YOROIという生野ブランドのキャリーバックを制作するために、コラボレーションを重ねていく様子が克明に描かれており、ものづくりにあたって、小さな企業が生き残りをかけて必死に頑張っている様子がひしひしと伝わってきた。
また、モリアス
アイアン・ワークスの若手経営者森下徹さんが、お父さんから独立して、レース用自動車用のマフラー開発という、新分野を開拓するために、大阪産業大学等とのコラボを進めている様子も知ることができ大変感動した。
番組では、ものづくりをされている人達の人間的な側面も描かれており、
大変工夫された様子が窺えるのが素晴らしい。
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ところで、製造業を営む中小企業の町といえば、東京都の大田区や東大阪市がよく話題になるが、大阪市の生野・東成区の存在も忘れてはならない。
生野・東成区におけるものづくりの歴史は古く、江戸、明治、大正、昭和を通じてものづくりの拠点としての役割を果たしてきた。ここを拠点として巣立っていった企業も多いと聞く。
最近でも、異業種交流グループ「フォーラム・アイ」が結成されたり、数年前から「東成・生野ものづくりフェスタ」が開催されるなど、ものづくりの振興のための活動が盛んだ。
現在、多くの異業種交流会が存在するが、実際に活発に活動しているのは少ないという話をよく聞く。
そのような中で、今回放映された生野区の異業種交流グループ「フォーラム・アイ」の活動は活発だ。
メンバー間の連携が強く、生野を日本のミラノに!というスローガンでイタリアのミラノに視察旅行に出かけたりして、益々発展しつつあるグループだ。
フォーラム・アイのホームページはここをクリック
◆江戸時代に“天下の台所”と呼ばれ、経済・文化の集積地として名を馳せた大阪。
その賑わいを取り戻そうとの動きが活発だ。
3月29日にオープンした「八軒家浜(はちけんやはま)」がその一つだ。昨年は、天神橋に上方落語の天満天神繁昌亭が復活した。
◆「八軒家浜」は平安時代、京都を船で出発した「熊野御幸」の一行が船を下り、熊野詣でに陸路を辿った出発点と言われている。筆者も、地下鉄天満橋の近くに、旧熊野街道があり、天下茶屋方面の方向が刻まれている道標を見かけたことがある。
また、この「八軒家浜」は、江戸時代、伏見との定期船の船着場となり、淀川の舟運発祥地でもある。「八軒家浜」の名前の由来は、1782年、江戸幕府が官許の肩書きを許した8軒の定飛脚問屋が店舗を連ねたことに端を発する。
坂本龍馬等、幕末を賑わした多くの人物が、この船を利用して京都・大坂間を行き来していたことが司馬遼太郎の「龍馬がゆく」に描かれている。
今回、その場所の一つの区間に船着場と遊歩道が整備され、水上交通の拠点となる水上ターミナルが完成したものである。
遊歩道には、建築家・安藤忠雄氏が呼びかける「桜の会・平成の通り抜け実行委員会」の募金による桜30本が植樹されている。
◆このような動きにより大阪が元気を取り戻すのを願うのは、大阪府民全員の願いであろうと思うが、いまひとつ盛り上がらないのは、現在の大阪の人間が、市民、企業人、
行政、政治家など、皆が自分のことだけを考えて、「大阪をよくしよう」と一緒になって頑張る雰囲気がないからだ。
◆かっての大阪には、皆で頑張ろうという公共心の伝統があった。江戸は幕府が造ったのに対し、大阪の街は自分で造るという気概があった。
村田英雄が唄った「王将」に出てくる「八百八橋」という浪速の橋も、幕府が架けた公儀橋は少なく、淀屋橋を始め大半が町人が協力して造った橋なのだ。また、大阪市中央公会堂は北浜の株式仲買人の寄付、昭和の始めの大阪天守閣再建は市民、企業からの巨額の募金で実現した。
◆しかし、このような公共心の低下が最近、目立つようになった。
次回に続く。