昨日新聞各紙で  

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昨日の新聞各紙で首都圏の都心部で大地震があったらどうなるかって記事が載っていました

 


 

産経新聞 3月30日(水)より引用

 

都心で大地震、そのときあなたは…30代会社員の夫と帰宅待つ妻、再会できるか


一斉帰宅抑制策のイメージ(写真:産経新聞)


首都東京を襲うマグニチュード(M)7級の大地震が発生したとき、身の回りで一体何が起きているのだろうか。政府が29日にまとめた首都直下地震の応急対策活動計画を基に、埼玉・大宮の自宅から東京都心に通う30代会社員の夫と帰宅を待つ妻をめぐる状況をシミュレーションした。

  ◆1日目

  まだ肌寒い3月下旬のある日。午後7時過ぎ、夫が会社のある東京・大手町のビルを出た直後、「ドドドド」と地面が揺れた。

  階段で12階の会社へ戻ったが停電している。自宅の妻が気になり、電話をかけたがつながらない。災害用伝言ダイヤルの171をコールして伝言を入れた。

  会社にいても、備蓄品を管理する上司がいない。東京駅に向かうと列車は全て運休、構内は大混雑だ。駅員から一時滞在施設として近くのホールを案内された。

  大宮まで歩けば1、2時間では済まない。悩んだ末、ホールヘ。配られた毛布で眠りについた。

  妻が買い物先から帰宅したところで地震が発生。家は無事だが、未固定の家具が倒れていた。停電したが携帯電話は電波が入った。ニュースサイトには「都心南部で震度7」。夫の顔が頭に浮かぶ。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のメッセージ機能で「大丈夫? 私は無事です」と送る。伝わるだろうか。蛇口をひねっても水は出ない。スーパーで備蓄品の特売をやっていたのを苦い気持ちで思い出す。

  ◆2日目

  翌朝。夫は慣れない環境で熟睡できなかった。ホール前の道路が緊急輸送ルートで警察や消防の車両がひっきりなしに走る。区職員から3日間は出ない方がいいと告げられた。備蓄のおかげで食料や水、トイレの心配はないが携帯電話の電源は切れてしまった。

  家を出てスーパーへ向かった妻。幹線道路は通行禁止で「広域支援」と書かれた自衛隊車両が走っていた。倒壊した木造家屋では救助活動が行われている。救助隊員から「火災が起こると危ないから離れて」と注意された。スーパーは商品棚がほぼ空。わずかな食料と水を買って帰宅した。車で夫を迎えに行けないか。でも幹線道路のガソリンスタンドで支援車両以外は給油できないと書いてあったのを思い出した。

  ◆3~4日目

  さすがに夫も疲労がたまってきた。4日目の夜になったところで発生から72時間が経過。徐々にがれきが撤去され、徒歩での帰宅を決意する。「帰宅支援ステーション」のコンビニエンスストアで水をもらった。途中から大宮まで臨時バスが出ていた。家の近くの中学校に多くの車両が止まっていた。避難所になっているようだ。妻はいるだろうか。

  家の食料が尽きた。夫はどうしただろう。携帯電話の電源を入れると市の情報メールが入ってきた。近くの中学校が避難所になり、食料の配布を始めるらしい。行ってみると支援物資が県外から続々と届いていた。避難者リストに夫の名前はないが、ここにいたなら会えるだろうか…。

  ■飲食料のほか、日用品の備蓄を

今回公表された国の計画は、地震発生3日目までは自治体や家庭の備蓄で対応することが前提となっており、食料などの救援物資は4日目(発生から72時間)以降に避難所などに届けられる予定だ。では何を用意すればいいのか。

  災害発生時の対処法などについて東京都がまとめた防災ブック「東京防災」では、普段自宅で利用している食べ物や日用品を少し多めに備える「日常備蓄」の実践を推奨している。

  特に東日本大震災の際は、救援物資として各地から大量の食品が届けられた一方、女性の生理用品や乳幼児の食品、おむつなどが不足する事態も発生。日用品、生活用品の備蓄の重要性が注目された。

  特定の処方薬や、コンタクトレンズ、食物アレルギーを持つ人の食料品など、特殊な事情を抱える人が日々使うものは、救援物資で代用できないケースが多く、日常の備蓄がより必要になる。

 

3.11で帰宅困難者になった経験からもうなずける内容です。

 

 

企画営業部 久保