まいど1号成功に至る苦労話

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先日、日本品質管理学界の集まりで、東大阪宇宙開発協同組合・専務理事の棚橋秀行さんの講演を聴いた。棚橋さんは当組合の理事長もされていた(初代の理事長は青木豊彦さん)。棚橋さんは現在、棚橋電機の2代目社長である。まだお若い。自らを体育系と自称されているだけあって、講演もお上手で迫力があった。

東大阪市の製造業は、東大阪市が合併によってできた頃には約1万社あったが、現在は6500社と減少している。そもそも東大阪市で人工衛星の話が持ち上がったのは、このような退潮傾向を止めるため、中小企業の活性化と次代の若者の育成を図ることであったが、順調には行かなかったらしい。とにかく人工衛星を打ち上げると言う理念には賛成する者が多いが、いざお金が絡むと話がややこしくなるという。13社でスタートしたこの事業は、少しずつ脱落し、最終的に残った6社だったという。この6社の協力で何とか苦難を切り抜けて来たという。

Sohla2_earth_base_2 そして苦しい次代、特に支えられたのは若者が労苦を惜しまず協力してくれた姿だったという。利害を超越した学生達の協力。これがなければ今日の成功はなかった、と述べておられた棚橋さんの言葉には実感がこもっていた。棚橋さんは好きな言葉として次の言葉を挙げられていた。

「百忍千鍛事遂全(百を忍び、千回鍛えれば、物事は遂に全うすることができる)、これはトヨタの前身、豊田織機創業者・豊田佐吉の言葉だそうだ。心に響くいい言葉だ。

因みに、東大阪宇宙開発協同組合は理念として、「夢で始まり、情熱を結集し、こころ豊かな社会を創る」を掲げて頑張っておられる。

by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/