フセハツ工業株式会社

フセハツ工業株式会社

フセハツ工業株式会社


ばねの総合メーカーです。

・大阪の東大阪で、半世紀以上にわたりバネを製造して参りました。

・東大阪市は全国屈指の中小企業の街です。長年に渡り培った中小企業のネットワークがあります。

・生産の4割が自動車関連です。その他さまざまな一般産業用ばねを6割ほど生産しています。

・自動車関連では、クラッチの重要部品であるワイヤーリングリターンスプリングを主に生産しています。

・一般産業用バネは、洗濯バサミやキーホルダーのような雑貨系のバネから、ガスの弁やバイクのサスペンションなどに使用する精密バネまで生産しています。

押しバネ引きバネ薄板バネ等を1個の試作からお請け致します。

少量多品種もお任せください。必要なときに必要な数量だけ納品する体制を整えております。

短納期でも柔軟に対応いたします。お気軽にご相談ください。

メッキ組立作業(アセンブリ)までを一貫して承ることにより、コストダウンをご提案いたします。

溶接プレス加工も行っています。

ばねの設計や計算でお困りの場合は、お気軽にご相談ください。最適な仕様をご提案いたします。

材料や表面処理の選択にお困りの場合は、お気軽にご相談ください。最適な仕様をご提案いたします。

専属の営業担当者制で、お客さまの「ものづくり」を最後までサポートいたします。

フセハツ工業株式会社
〒577-0046 東大阪市西堤本通西1丁目3-43
TEL:06-6789-5531(代表)
FAX:06-6789-5536、06-6788-8266
ホームページ:http://www.fusehatsu.co.jp/
匠企業 in BMB

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浜松市立雄踏中学校 バネ工場見学


バネ工場見学
浜松市立雄踏中学校

2023年9月15日、浜松市立雄踏(ゆうとう)中学校の生徒のみなさんが、バネ工場見学に来られました。




浜松市立雄踏中学校は、1947(昭和22)年に創立されました。




校訓は「創造一路」。「豊かな心を持ち未来を創造する生徒」を学校教育目標としています。




雄踏中学校のある浜松市は、県庁所在地である静岡市を上回る県内最大の人口を有する都市です。

ホンダの発祥地でもあり、スズキが本社を構えるなど、全国有数の自動車工業都市で、東海工業地域の中心です。




スズキは、大工から身を起こした鈴木道雄により1909年に織機メーカーとして創業されました。

1950年にオートバイ開発に乗り出し、1955年からは軽自動車の分野にも進出しました。




現在、四輪車の世界販売台数は世界第10位、国内販売台数は第2位です。





また、浜松市は、ヤマハ・カワイ・ローランドや鈴木楽器製作所など多数の楽器メーカーが立地する「楽器の街」「楽都」とも称されています。




浜松市立楽器博物館は、浜松市が進める「楽器のまちづくり」の一環として1995年に設立されました。




世界的にも大規模な日本で唯一の公立楽器博物館です。館内には世界中から収集した楽器が約3300点があります。





浜松といえば、「浜松城」です。


徳川家康は引間城を浜松城に改め、29歳から45歳まで17年間に及び浜松城を拠点としました。




浜松在城の17年間は家康にとっては、徳川300年の歴史を築くための試練に耐える時代でした。

江戸時代には、浜松城の歴代城主が幕府の要職についたことから「出世城」と呼ばれました。




明治維新後は城郭が破壊され荒廃しましたが、1950年に浜松城公園が整備され、1958年には天守閣が再建されました。





浜松祭りは毎年ゴールデンウィークの時期に開催され、約200万人の人が集まります。

メインイベントは170以上の町が参加する勇壮な「凧あげ合戦」が行われます。




「遠州の空っ風」と呼ばれる強い風が吹くこの地は、気候的にも凧揚げに好条件です。

凧を上げるお祭りは、当時浜松を治めていた引間城主の長男誕生を祝って城中高く凧を上げたのが始まりと言われています。




現在も、子供の誕生を祝う「初凧」の伝統は、浜松祭りとして受け継がれています。





>浜松市立雄踏中学校

>浜松市立楽器博物館

>浜松城

>浜松祭り

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米子市立湊山中学校 バネ工場見学


バネ工場見学
米子市立湊山中学校様

2023年9月6日(水)に鳥取県米子市立湊山中学校の生徒のみなさんがバネ工場見学に来られました。




米子市立湊山中学校は、1972年に前身の米子市立第三中学校から改められ設立しました。






校舎は景勝愛宕山麓の清閑な地にあり、春には教室の窓から米子城跡の桜花を眺めることができるなど、四季折々の自然に囲まれています。







「故郷で心豊かに学び、いきいきと活動する生徒の育成」を教育目標にかかげ、自主・創造・友愛・互助、健康・明朗を信条とし、家庭・地域・学校が一体となり学校教育の推進に努めています。




米子市は鳥取県の西部、山陰のほぼ中央に位置し、南東に中国地方最高峰の大山、北に日本か、西にコハクチョウ渡来南限地の中海を有する豊かに自然に恵まれた都市です。
















米子は、戦国期に吉川広家により本格的な城下町として建設されました。


関ヶ原の合戦により毛利氏方の吉川氏が転封することになり、替わって駿河国から中村氏が入り、湊山に5層の大天守と4層の小天守が連結する壮大な城郭を建築しました。




中村氏が改易後は、池田氏の家老が城代となり米子を治めました。

米子はさまざまな街道や港の結節点にあり、鉄・材木・海産物・木綿などの集積地・中継地として発展し、江戸時代には「山陰の商都」「山陰の大坂」と言われるほど繁栄しました。



明治維新になると、米子城の壮大な城郭は二束三文で民間に払い下げられ、最後には風呂屋の薪になったそうです。



市内にある皆生温泉は、1981年に日本初のトライアスロンが開催され、トライアスロン発祥の地として有名です。

水泳3km、自転車140km、長距離走40kmのコースで、毎年7月に開催されます。






トライアスロンは1974年にアメリカで初開催された比較的新しいスポーツです。

アメリカ海軍の宴席で「マラソン・遠泳・サイクルロードレースの中でどれが最も過酷なスポーツか」が議論になりましたが結論が出ず、「それではこの際、全部まとめてやってみよう」ということになり、トライアスロンが始まりました。





国内初となる皆生温泉のトライアスロンは『皆生温泉開発60周年記念事業』として開催されました。

地元の旅館組合青年部が中心となり、「どうせやるなら、日本で一度もやっていないスポーツの大会をしよう」と企画されました。




入手したハワイ大会のマニュアルを翻訳し、数十回にわたりコースを繰り返し検討し、記念すべき第1回大会が53名の参加で開催されました。


最初のチャレンジャー53名の名前は『日本トライアスロン発祥の地』の石碑に刻まれています。


>米子市立湊山中学校


>米子城跡


>皆生トライアスロン


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伊賀市立柘植中学校様 バネ工場見学


バネ工場見学
伊賀市立柘植中学校様

2023年6月20日、伊賀市立柘植中学校の生徒の皆さんがバネ工場見学に来られました。




柘植中学校の学校教育目標は「エンパワメントを最大限に引き出す学校づくり」です。




エンパワメントとは、「自分の暮らしを見つめ、自分をとりまく人々の願いを受け止め、生活を高めていこうとする力」と柘植中学校では定義しています。




柘植中学校では、子どもたちが、保護者・地域・学校に関わる全ての人と、相互に支え合う関係である学校づくりを目指しています。




柘植中学校のある三重県伊賀市は、平成の大合併で誕生しました。
この大合併で上野市や青山町は消滅しましたが、鉄道の駅名として「上野市駅」と「青山町駅」はそのまま残りました。




当初は名張市も加わって「オール伊賀」になる予定でしたが、住民投票で否決されたため、伊賀地方の中で名張市だけが合併から離脱しました。





伊賀といえば忍者です。
伊賀流は甲賀流と並んで忍術の中で最も有名な流派の一つです。
おとなりの滋賀県甲賀市も平成の大合併で同じく2004年に発足しています。
伊賀市と甲賀氏は毎年忍術合戦を行い、負けた市は勝った市を1年間PRするそうです。




伊賀の国はかつて小領主が群雄割拠し、長年にわたり抗争を繰り広げてきました。
民衆は生き延びるため自らを守るためにゲリラ化して戦い、戦術を磨いていったのが忍者の始まりと言われています。




戦国時代には「天正伊賀の乱」が勃発します。
「第一次天正伊賀の乱」で織田信雄の伊賀侵略に勝利。
「第二次天正伊賀の乱」では信雄敗戦の報復に出た織田信長軍5万を相手に戦い、開城和睦。




「本能寺の変」直後、徳川家康が堺から三河へ大脱出した逃避行経路の「神君 伊賀越え」は有名です。







伊賀市には伊賀上野城があります。

現在の復興天守閣は地元代議士が私財を投じて1935年(昭和10年)に竣工しました。






見学の後日、柘植中学校さんからお礼のお手紙と欣栄堂さんの銘菓「いがの月」をいただきました。








柘植中学校の学校ブログにもバネ工場見学の様子を載せていただきました。

ありがとうございました。


>伊賀市立柘植中学校


>柘植中学校ブログ「校外学習に行ってきました!」


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本田技研工業様 バネ工場見学


バネ工場見学
本田技研労働組合 鈴鹿支部様

2023年6月16日、本田技研労働組合 鈴鹿支部様がバネ工場見学に来られました。






本田技研工業 鈴鹿製作所は1960年(昭和35年)に国内3番目の工場として設立されました。




世界的ベストセラーの「フィット」をはじめ、軽自動車やNシリーズやハイブリッドカーを生産しています。




鈴鹿製作所は、世界28か国のホンダの工場に部品を供給し、現地調達される部品と合わせ、現地生産活動を支える重要な役割を果たしています。



また、海外への工場へ技術支援するマザー工場としての役割も担っています。




鈴鹿製作所は、グローバルスタンダードラインとして北米や英国などの世界のホンダの量産ラインの基準となっています。




本田技研工業の創業者である本田宗一郎は1906年(明治39年)静岡県浜松市で鍛冶屋の息子として生まれました。




1928年(昭和3年)22歳の時、丁稚奉公していた自動車修理工場「アート商会」から、のれん分けのかたちで独立。1937年(昭和12年)31歳で社業拡大にともない「東海精機重工業」の社長に就任。









1942年(昭和17年)豊田自動織機から出資を受け、専務に退きます。



1945年(昭和20年)39歳の時、三河大地震で工場が倒壊し、豊田自動織機に会社を売却。
「人間休養」と称して1年間の休養に入ります。



そして、1946年(昭和21年)に前身となる本田技術研究所を設立しました。







鈴鹿市は三重県の中央に位置する人口19万にの都市です。



鈴鹿市は、第二次世界大戦のときに軍部の強い意向により、1942年(昭和17年)強制的に市町村を合併させて誕生した軍都でした。



戦後は広大な軍用地を転換し、自動車産業など数多くの企業を誘致し、工業都市として生まれ変わりました。



現在は三重県下で第2位の工業都市としての地位を確立しています。




1962年(昭和37年)には鈴鹿さーっきとが開場し、「F1 日本グランプリ」やオートバイ「8時間耐久レース」など数多くのレースが開催されています。




世界的にも有名なコースとなり、「モータースポーツの聖地」とも言われています。




>本田技研工業

>鈴鹿サーキット

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名古屋市立東陵中学校 バネ工場見学


バネ工場見学
名古屋市立東陵中学校

2023年6月6日、名古屋市立東陵中学校の生徒のみなさんがバネ工場見学に来られました。




名古屋市立東陵中学校は名古屋市緑区にあります。1973年に設立されました。
教育目標は「心身ともに健康で調和のとれた人間性豊かな生徒の育成を目指す」です。




『BE FREE!』『まじかる☆タルるートくん』『東京大学物語』の作者である江川達也は、漫画家になる前はこの東陵中学校で数学科の教師をしていました。




名古屋市緑区は名古屋市を構成する16区のうちのひとつで名古屋市南東部に位置します。1963年に新設されました。
人口は約24万8千人で、名古屋市内で最も人口の多い区となっています。





名古屋市緑区には、織田信長が今川義元を破ったことで有名な「桶狭間」があります。




緑区では毎年「万灯会・桶狭間古戦場まつり」が開催されています。桶狭間の戦いで命を落とした両軍を供養するお祭りです。
万灯会では、桶狭間の戦いの死者を弔うために3500本のロウソクを大池に点灯し、幻想的な風景が広がります。




緑区は「緑」というだけに緑地と穏やかな丘陵の多い自然豊かな地でもあります。



緑区の大高緑地公園の園内には2016年に『ディノアドベンチャー名古屋』がオープンしました。




なだらかな坂道が続く森の中を歩きながら、動いたり吠えたりする等身大のティラノサウルスやトリケラトプスなど恐竜の模型が20体以上も間近に見ることができます。




大高緑地公園の近くには大高城跡があります。
大高城は桶狭間の戦いの前哨戦として、当時今川義元配下にあった若き徳川家康が決死の兵糧入れ作戦を行った城としてよく知られています。




現在は、大高城跡公園として整備され市民に親しまれています。




また、名古屋市緑区には伝統工芸品として有名な「有松・鳴海絞り」があります。有松・鳴海地域を中心に生産される絞り染めの織物です。




日本における絞り織物製品の大半を生産しており、1975年には国の伝統工芸品に指定されました。





>名古屋市立東陵中学校

>名古屋市緑区

>桶狭間の戦い

>ディノアドベンチャー名古屋

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座間市立東中学校 バネ工場見学


バネ工場見学
神奈川県座間市立東中学校

2023年5月29日、座間市立東中学校の生徒のみなさんが修学旅行でバネ工場見学に来られました。




座間市立東中学校は座間市制が施行された1972年(昭和47年)に座間中学校から分離独立、市内3番目の学校として発足しました。

学区は、日産自動車を中心にした工業団地の小松原地区、古くからの居住者の多い東原地区、新しく宅地開発され多くの生徒が通っているひばりヶ丘地区の3つの様子が異なる地区からなっています。





校訓は、「生い立て 知恵と力」。


学校教育目標は、「優しく、賢く、美しく 自らの可能性を切り拓く 心豊かな生徒の育成」です。






座間市は神奈川県の中部に位置し、人口は約13万人の都市です。

座間市のゆるキャラとして「ざまりん」がいます。ひまわり畑から生まれた妖精です。




座間市には、かつて日産自動車の主力生産工場である座間工場があり、日産自動車の企業城下町として栄えました。

座間工場は1965年(昭和40年)に完成、翌年から新型大衆車「サニー」を皮切りに同社の乗用車生産工場として重要な役割を果たしてきました。








しかし、バブル経済崩壊の影響で工場自体がリストラの対象となり、1995年に完成車組立工場としての幕を閉じました。




また、座間市にはアメリカ陸軍基地「キャンプ座間」があります。戦後、陸軍士官学校の跡地に建設されました。

キャンプ座間には、在日米陸軍司令部、米陸軍第1軍団司令部などが置かれ、在日米陸軍の中枢部の役割を担っています。

現在は、実力部隊駐屯しておらず、司令部のみの平坦基地です。自衛隊も駐屯しています。









座間市では8月に「座間ひまわり祭り」が開催されます。

耕作放棄された荒廃地や遊休農地対策として1933年から植栽が始められ、現在では5.5ヘクタールの畑に55万本のひまわりが咲き誇り、圧巻のひまわりのパノラマが広がります。




期間中は切花・農産物・特産品の販売、模擬店の出店、展望台が設置され、さまざまなイベントが行われます。











>座間市立東中学校


>座間市

>座間 ひまわり祭り

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亀山市立亀山中学校 バネ工場見学


バネ工場見学
亀山市立亀山中学校

2023年5月16日、三重県亀岡市立亀山中学校の生徒の皆さんが修学旅行の初日にバネ工場見学に来られました。

今回の修学旅行の学年目標は、「習学良好~持っていくのはルールとマナー、持って帰るのは最高の思い出~」です。

「亀中だより」No.11(令和5年6月2日)にフセハツ工業での工場見学の様子が写真掲載されてます。






亀岡中学校は亀山城天守台の内堀と亀山藩校明倫館の跡地に建っています。


現在、亀山城には多門櫓のみが残っており、現存する多門櫓としては数少ない事例となっています。




亀山藩主第四代石川総博は1785年に藩校明倫堂(のちに明倫館と改称)を創設し、朱子学をもとにした学問を奨励しました。




明倫堂は藩士に限らず、志のある町民や農民も受け入れており、当時としては珍しい開明的な学校でした。

明倫堂では数学の研究に熱心だったようです。特に関孝和流の高度な純数学が学ばれていました。






亀山中学校は、1873年(明治6年)に明倫館跡に亀山学校が創立されたのが始まりです。

1954年に亀山市制施行に伴い亀山中学校となります。

2023年度学校経営ビジョンは、学校教育目標として『「豊かな人間性とたくましい行動力を持つ生徒を育成する」~人とかかわる喜びを持ち、きずなをつくる生徒へ~」を掲げています。





亀山市は三重県中北部にあり、江戸時代は宿場町として栄えました。


歌川広重の浮世絵に「東海道五十三次 亀山雪晴」があり、亀山宿が描かれています。





また、亀山市にはシャープ亀山工場があり、「世界の亀山」ブランドの液晶テレビの生産で知られています。

現在は、スマホ用カメラモジュールの向上として生産活動を行っています。





地場産業としては、ローソクが全国的に大きなシェアを持っています。カメヤマローソクは有名です。




ローソクの製造は1927年に宮大工の棟梁だった谷川兵三郎が始めました。

「引退後も神に仕える仕事がしたい」という思いで谷川蝋燭製造所を創業します。




現在はカメヤマ株式会社(本社大阪市)として国内最大手メーカーとなり、世界有数のキャンドルメーカーでもあります。



>亀山市立亀山中学校


>亀山城跡


>亀中だよりNo.11


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岐阜大学教育学部附属小中学校 バネ工場見学


バネ工場見学
岐阜大学教育学部附属小中学校

2023年5月10日、岐阜大学教育学部附属小中学校のみなさんがバネ工場見学に来られました。




「小中学校」という独特な形態の義務教育学校です。2020年に岐阜大学教育学部附属小学校と岐阜大学教育学部附属中学校を統合し開校しました。
9年制の義務教育の学校です。




1~4年生(第Ⅰ部)、5~7年生(第Ⅱ部)、8・9年生(第Ⅲ部)の四三二制になっています。



校長の他に、岐阜大学との連携を促し監督にあたる統括校長がいます。
教頭は、Ⅰ部・Ⅱ部・Ⅲ部に各1人、合計3人います。



教育理念は、「人間教育~共に生きる人々とつながりを大切にし、予見困難な未来を自分らしく切り拓くことができる力を育む教育」です。



教育理念をもとに次の教育目標が定められています。
Ⅰ部 自分の頭で考える あたたかい胸で助け合う じょうぶな手足をつくりだす
Ⅱ部 自主性 社会性 創造性
Ⅲ部 独歩 信愛 協働






義務教育学校は、学校教育法の改正により2016年に新設された制度です。小学校課程から中学校課程まで義務教育を一貫して一つの学校で行います。国公私立のいずれでも設置が可能となっています。






附属学校の歌

さわやかな あしたの空に
どっしりと動かないやま 金華山
ああ あのように
附属に学ぶ わたしらは
なかまのしあわせ 願いつつ
静かに強く 生きようよ





学校歌に出てくる「金華山」は、岐阜県岐阜市にある標高329mの山です。旧称は稲葉山といいました。








稲葉山には、戦国時代に齋藤道三が拠点とした山城がありました。

織田信長は稲葉山城を攻略し、天下統一を目指す岐阜城として拡張整備を行いました。



岐阜城は1601年に徳川家康により廃城となりました。江戸時代には金華山は尾張藩の「御留山」として一般の立ち入りが禁止されました。




現在では金華山は岐阜市のシンボル的存在です。夜景も美しく市民の憩い場となっています。




山頂には岐阜城の復興天守(1956年再建)が建ち、金華山リス村や売店・展望レストランもあります。山頂へはロープウェー(1955年開業)が通じています。




西側山麓には、織田信長居館跡や岐阜公園、岐阜歴史博物館などの文化施設などもあります。






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>義務教育学校について

>金華山

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東大阪市新規採用職員研修 バネ工場見学


バネ工場見学
東大阪市新規採用職員研修

2023年4月10日、東大阪市新規採用職員研修でバネ工場見学に来られました。
新卒採用の方、中途採用の市の職員の方がモノづくりの現場を学びました。





東大阪市は大阪府中河内地域に位置する中核市です。弊社は東大阪市にあります。
人口は約50万人で大阪市および堺市についで第3位です。

東大阪市は、日本を代表する「モノづくりのまち」です。
全国1位の製造業の事業密度があり、工場が身近な存在です。



日常の暮らしに欠かせない技術から世界的な技術まで、幅広い技術が東大阪市に集積されています。

2022年には、町工場を舞台にした朝の連続ドラマ「舞い上がれ!」のロケ地にもなりました。



東大阪市は「ラグビーのまち」としても有名です。
東大阪市花園ラグビー場では「ラグビーワールドカップ世界大会」が開催されました。




歴史:戦国時代の東大阪


戦国時代、東大阪は若江城を拠点に統治されていました。若江城は四方を沼地で囲まれた難攻不落の平城といわれていました。

もともとは、河内国守護畠山氏の居城でしたが、応仁の乱で没落。その後いろいろあって、三好義継の居城となります。

三好義継は、三好三人衆の支持を得て三好本家の事実上最後の当主となりました。




1573年に武田信玄が病死します。義兄である将軍足利義昭が織田信長によって京の都を追放されると、若江城に入れて庇護しました。

三好義継は信長の怒りを買い、佐久間信盛率いる織田軍に攻められました。

足利義昭はひそかに逃亡し、重臣である若江三人衆にも裏切られる中、奮戦するも落城。妻子と自害。享年25歳。

京で栄華を誇った戦国大名三好家の嫡流は断絶しました。





若江城は最終的には信長のものとなり、家臣池田教正が預かりました。

池田教正は熱心なキリシタンで、若江城下には教会が建ち、多くのキリシタンが集まり賑わいました。




その後、若江城は石山本願寺・一向一揆攻めの信長本陣となりました。

石山本願寺を鎮圧後は若江城の役割は終わり、信長の命で1583年に廃城となりました。



現在、若江城跡には若江小学校が建っており、子どもたちの学び舎となっています。
若江小学校は筆者の母校でもあります。





>東大阪市ホームページ

>若江城

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PIDU伊勢支部様(パナソニック インダストリー) バネ工場見学


バネ工場見学
PIDU伊勢支部様

2023年3月20日、PIDU伊勢支部様がバネ工場見学に来られました。

PIDU伊勢支部様は、「パナソニック インダストリー株式会社」の労働組合伊勢支部になります。




パナソニック インダストリー株式会社の従業員は約42,000人で、事業内容は電気部品・電子部品・制御機器・電子材料等の開発・製造・販売をされています。

松下電器産業は1935年に設立されましたが、2008年にパナソニックに社名が変更されました。

2011年には、パナソニック電工と三洋電機を完全子会社にします。

2021年、パナソニック株式会社インダストリー社を設立し、2022年4月に「パナソニック インダストリー株式会社」が創業されました。



創業者「松下幸之助」が描いた『物と心が共に豊かな理想の社会』を事業において目指していくために、

「多様なデバイステクノロジーでより良い未来を切り拓き、豊かな社会に貢献しつづける」

というミッションを掲げておられます。







松下幸之助は、和歌山県和歌山市に1894年に生まれました。


1899年に父が米相場に失敗し破産しました。9歳のときに丁稚奉公に出ます。

奉公先である五代自転車時代にサントリーの鳥井信治郎と出会い、将来に渡って経営の師と仰いだそうです。

1918年に大阪市東成区で妻むめの、その弟井植歳男と新型ソケットの製造販売を始めますが、失敗します。

扇風機の部品を受注してなんとか経営を軌道にのせ、後の松下電器産業へと発展していきます。







創業者の松下幸之助はさまざまな名言を残していますが、代表的な言葉として次のものがあります。



『成功するまで続ける』

何ごとによらず、志を立てて事を始めたら、少々うまくいかないとか、失敗したというようなことで簡単に諦めてしまってはいけないと思う。

一度や二度の失敗でくじけたり諦めたりというような心弱いことでは、ほんとうにものごとを成し遂げていくことはできない。








世の中はつねに変化し、流動しているものである。

ひとたびは失敗し、志を得なくても、それにめげず、辛抱強く地道な努力を重ねていくうちに、

周囲の情勢が有利に転換して、新たな道がひらけてくるということもあろう。

世にいう失敗の多くは、成功するまでに諦めてしまうところに原因があるように思われる。

最後の最後まで諦めてはいけないのである。





>パナソニック インダストリー

>松下幸之助

>松下幸之助 30のことば

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