品質優良賞を受賞
顧客の株式会社エクセディ様より品質優良賞をいただきました。
1年間、不適合品ゼロ件を評価していただきました。
3年連続の受賞になります。
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岡山県瀬戸内市立邑久中学校
バネ工場見学
2025年5月8日(木)、
岡山県瀬戸内市立邑久中学校の生徒のみなさんがフセハツ工業のバネ工場見学に来られました。
邑久は「おく」と読みます。
邑久中学校は、『未来へ。誠実に人生を生き抜く人』を学校教育目標にしています。将来自立した社会人になるために身に付ける力として、具体的には以下の四つの力を掲げて教育活動を行っています。①自分で考える力 ②自分で決める力 ③自ら実行する力 ④自他共に受け入れる力
>瀬戸内市立邑久中学校邑久中学校のある瀬戸内市は、2004年11月1日に牛窓町・邑久町・長船町が合併して誕生しました。岡山市の隣にあり、人口は約35,000人です。瀬戸内市は瀬戸内海に面して多諸島が点在し、その景観は「日本のエーゲ海」と言われています。
>瀬戸内市の紹介>邑久町の紹介
邑久町には長島とういう島があります。長島は、源平合戦の屋島の戦いの後に源義経の船が長島に吹き寄せられ、武蔵坊弁慶が船を曳き起こしたという伝説が残っています。また、この長島には国立療養所長島愛生園があります。長島愛生園は1930年に日本最初のハンセン病患者のための隔離療養所として誕生しました。現在は「らい予防法」が廃止されて隔離政策はなくなりましたが、高齢者や社会復帰の難しい方が今でも生活されています。
>国立療養所 長島愛生園
邑久町には、夢二郷土美術館・生家記念館があります。画家 竹久夢二の記念館です。竹久夢二は、1884年(明治17年)に邑久町の造り酒屋の次男として生まれました。独特の抒情的な美人画を描き、「大正ロマン」を代表する画家となりました。
また、画家としてだけではなく、詩や歌謡・童謡も創作し、雑貨・広告・書籍のデザインなども手掛け、日本の近代グラフィックデザイナーの第一人者と言われています。
>竹久夢二>夢二郷土美術館・生家記念館
邑久町虫明の海の朝日は「日本の朝日百選」に選ばれています。『虫明迫門の曙』と言われ有名です。虫明迫門は「むしあげせと」と読みます。迫門(せと・瀬戸)とは、川の両岸が迫って狭くなっている場所、または狭い海峡をいいます。手前に牡蠣筏が浮かぶ真っ赤な朝焼けの風景は、まさに絶景です。秋の季節が最も美しいと言われています。
また古来より、虫明の美しい海の景色は和歌にも多く読まれてきました。
虫明の 迫門の曙 見るおりぞ 都のことも 忘れにけり 平忠盛(平清盛の父)月影に 虫明の迫門を 漕ぎ出でれば 八十島かけて おくる鹿の音 後鳥羽院都にいて いかに語らん 虫明の 迫門の入江の 松のたえ間を 藤原定家
>虫明迫門の曙(朝日百選)
フセハツ工業の概要説明、そしてバネ工場見学 、見学後の質疑応答では生徒のみなさんから質問が活発になされました。
岡山県の遠方から、どうもありがとうございました
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バネ工場見学東大阪市立長瀬中学校様2024年2月14日、地元の東大阪市立長瀬中学校の生徒のみなさんがバネ工場見学に来られました。
長瀬中学校は東大阪市の南端に位置し、八尾市と大阪市に隣接しています。1965年に当時の布施市立第三中学校(現在の東大阪市立金岡中学校)から分離して開校しました。
学校教育目標は「心豊かに生き抜く生徒の育成」です。生徒一人ひとりが「今日も学校に来てよかった!明日も学校に行きたい!」と心から言える学校になるよう取り組まれています。
東大市立長瀬中学校は部活動も盛んです。特にバスケットボール部が盛んで、過去2回の全国優勝があります。
長瀬中学校の近くには長瀬川が流れています。長瀬川は農林水産省の「疎水百選」に選定されています。長瀬川は古代より大和川の本流として水運が利用されてきました。
江戸時代に大和川の付替工事があるまでは、当時の長瀬川は大和川と呼ばれ、川幅も200m以上ありました。現在の川幅は約5mほどです。
江戸時代以前の旧大和川(現 長瀬川)は大変な暴れ川で、定期的に大きな氾濫を起こしては地元地域に甚大な被害を及ぼしてきました。豪商の川村瑞賢がこの問題に取組み土木工事を行いましたが失敗しています。
この大和川の氾濫を根本的に解決するために、大和川付替工事に奔走した人物として中甚兵衛(1639~1730)が有名です。中甚兵衛は江戸時代初期の農民で、東大阪市今米の庄屋の三男として生まれました。50年近くに渡って、大和川付替工事を幕府に粘り強く嘆願し続け、実現させた人物です。
工事のときには、農民でありながら並み居る幕臣に交じって工事の指揮を行いました。工事は用意周到な計画のもと、約8か月ほどで完了したとされています。
晩年、中甚兵衛は浄土真宗本願寺派の大坂津村御坊(北御堂)で剃髪し、乗久と名乗りました。大和川氾濫で命を失った被害者を弔ったとされています。享年92歳。
さて、大和川といえば、「日本一汚い川」として有名です。その支流の長瀬川も一時は生活用水や工業用水などでかなり汚染されていましたが、自然保護のため流域の各所に水生植物の栽培や簡易式曝気施設が設けられました。現在では川底が見えるくらい浄化され、さまざまな生き物が生息しています。
>東大阪市立長瀬中学校>中甚兵衛>ばね工場見学のご案内>お問い合わせはこちら(この記事には画像があります。画像部分は外部ブログサイトで見れます。)
バネ工場見学若松学園高稜高等学校様2024年2月7日、若松学園高稜高等学校の生徒のみなさんがバネ工場見学に来られました。
高稜高等学校は、福岡県北九州市若松区にある私立学校です。設立は1902年で120年以上の歴史があります。裁縫教習所として若松町に設立されたのが由来となります。校訓は、「自主・創造・敬愛」です。社会に貢献できる心豊かで逞しい人財の育成を行っています。
高稜高校ではボランティア活動が積極的に行わています。全国表彰「日本善行賞」を二度受賞されています。学校あげての校外清掃活動や、老人福祉施設での慰問茶会などのボランティア活動を行てっいます。
高稜高校のある北九州市若松区は、響灘と洞海湾に囲まれた若松半島のほぼ全域に相当します。若松地区は、かつて筑豊炭田で産出された石炭の積出港として栄えました。
若松区には高塔山(124m)があります。高稜高等学校の校歌にも「匂う 緑の 高塔山」として歌詞にもなっています。高塔山公園からの夜景は、「日本夜景遺産」に登録されています。
>若松学園高稜高等学校>高塔山公園
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バネ工場見学
東大阪市立孔舎衙中学校様
2024年2月2日、地元の東大阪市立孔舎衙中学校の生徒のみなさんがバネ工場見学に来られました。
孔舎衙中学校は1980年に開校しました。
くさか三か条として、「時間 あいさつ 思いやり」をスローガンに掲げ、当たり前のことは当たり前にできる子の育成を目指しています。
孔舎衙は「くさか」と読みます。読み方が難しい…
孔舎衙は、日本書紀に出てくる神武天皇の東征伝説にある「孔舎衛坂(くさえざか)」が近くにあったことが由来になっているそうです。
「孔舎衙」は「衙」で、「孔舎衛」は「衛」で漢字が違うのは、日本書紀のほうが誤植であるという説が有力です。
しかし、日本書紀に誤りがあるのは畏れ多いということで、「くさえ」という地名はないのですが、公式には孔舎衛坂は「衛(え)」になっています。
日本書紀によると、「孔舎衛坂の戦い」で神武天皇は地元勢力に歴史的な大敗を喫します。
神武天皇の兄も戦死し、大阪から生駒山を越えて最短で大和に入ることをついに断念します。
この後、神武天皇の東征軍は体制を立て直し、紀伊半島の熊野方面から大迂回して大和を目指すことになります。
かつて、近鉄奈良線の石切駅と生駒駅の間に「孔舎衛坂駅」がありました。
1964年に新生駒トンネルができて廃駅となりました。
今でも孔舎衛坂駅跡は残っています。
石切駅から生駒駅方面に歩いて、石切観音の参道沿いに駅跡があります。
孔舎衛坂駅は1914年の開業です。同年、近くに日下遊園地も開業しました。
1926年に「あやめ池遊園地」、1929年に「生駒山上遊園地」が開業すると、客足が遠のき廃園となりました。
当時の日下遊園地には、乗馬クラブや貸ボート、ミニ動物園、温泉、料理旅館、少女歌劇団などがあり、小さいながらも盛況な遊園地だったようです。
遊園地が廃業した後は、孔舎衙健康道場として結核患者の療養所が建てられました。
太宰治の小説『パンドラの匣(はこ)』のモデルなった場所です。
現在、日下遊園地跡はパンドラの丘として地元有志によって公園として整備されています。
生駒山の「くさかハイキングコース」の登山口付近にあります。
>東大阪市立孔舎衙中学校
>パンドラの丘
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バネ工場見学沖縄県立那覇国際高等学校2023年12月18日、沖縄県立那覇国際高等学校の生徒のみなさんがバネ工場見学に来られました。
沖縄県立那覇国際高等学校は1998年に開校しました。学是は「右文尚武」です。「ゆうぶんしょうぶ」と読み、「右文」とは学業を尊ぶこと、「尚武」とは部活動にも励むという意味です。校訓は「自主・敬愛・飛躍」です。
同校は2016年に文部科学省からスーパーグローバルハイスクールに指定されました。スーパーグローバルハイスクールは、語学力だけでなく、社会課題に対する関心や教養、コミュニケーション能力、問題解決能力などを身に付けたグローバルリーダーの育成を目的としています。
沖縄県立那覇国際高等学校は、那覇新都心の中央に位置し、この地区で最も早く建設された施設でもあります。最寄り駅は、沖縄モノレールの「おもろまち駅」です。「おもろまち」は一般公募の中から選ばれた地名です。
「おもろまち」とは面白い町という意味ではなく、沖縄地方の方言の「おもろ = 思い」が由来となっています。沖縄戦の悲劇を忘れず、平和に暮らしたいという市民の切なる思いが込めれた地名です。
那覇国際高等学校が立地する那覇新都心は、1953年に米軍によって強制収容され(いわゆる「銃剣とブルドーザー」)、のち1987年に全面返還が実現された土地です。
かつて「おもろまち駅」付近では、第二次世界大戦の沖縄戦「シュガーローフの戦い」がありました。シュガーローフとは、アメリカ南部地方の菓子パンをいいます。アメリカ軍が名付けたシュガーローフの丘は、地元沖縄では慶良間チージ(キラマチージ)と呼ばれています。日本軍は安里五二高地と呼称しました。
シュガーローフの戦いは「地獄の7日間」といわれ、沖縄戦の中でも最激戦地でした。アメリカ軍では、死傷者以外にも多くの兵が精神異常をきたし戦線を離脱したそうです。
シュガーローフは大部分が開発されましたが一部残されており、碑が立っています。
アメリカ軍から返還された土地は、那覇新都心として再開発され、大型ショッピングセンターや運動公園、そして那覇国際高等学校が整備され、沖縄で最も高い高層ビルも建っています。
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バネ工場見学
広島市立戸坂中学校
2023年12月6日、広島市立戸坂(へさか)中学校の生徒のみなさんが、バネ工場見学に来られました。
広島市立戸坂中学校は広島市東区にある中学校です。
1972年に広島市立牛田中学校から分離して設立されました。
戸坂中学校のすぐ近くには牛田山(261.1m)や松笠山(374.3m)があります。
牛田山の山頂には、戦国時代に在地の国人だった戸坂氏の居城戸坂城がありました。
また、牛田山の山頂付近には弥生時代後期の土器や鉄器・銅器が多数出土しており、倭国大乱のときの軍事施設があったと推定されています。
倭国大乱は、日本史上初の大規模な内戦です。
魏志倭人伝によると、卑弥呼という一女子を王として共立することで、ようやく長年にわたる内戦が終結したとされています。
今では、戸坂中学校の周りには、様々なハイキングコースが整備され市民に親しまれています。
>広島市立戸坂(へさか)中学校
>広島市ハイキングコースの紹介
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「こーばへ行こう!2023」フォトブック
2023年11月17日(金)にオープンファクトリー「こーばへ行こ!2023」の「ばね工場ガイド―ツアー」を開催致しました。
フセハツ工業は完全予約制で1日2回の開催でした。いろいろな方にばね工場を知っていただくよい機会になりました。
当日の見学会の写真で、記念のフォトブックができあがりました。
>こーばへ行こう!2023
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東大阪市立縄手中学校 文化祭に参加「こーばへ行こう」で夢をつかめ!
2023年11月2日、東大阪市立縄手中学校の文化祭がありました。中学1年生は、『「こーばへ行こう」で夢をつかめ!』という発表会を行いました。
『「こーばへ行こう」で夢をつかめ』は、地域の町工場を取材した生徒たちが、見学したことを新聞と劇で発表するイベントです。
フセハツ工業も取材先に選ばれ、縄手中学校の生徒さんたちから取材を受け協力しました。
東大阪市立縄手中学校の校訓は、「責任を果たせ 人に迷惑をかけるな」です。教育目標は、「確かな学力 豊かな心 体力の向上」です。
東大阪市では2019年から小中一貫教育が本格的に実施されました。
縄手中学校区の「上四条小学校・縄手小学校・縄手中学校」の三校は、ともに「四條の風学園」という愛称で、一体となって連携・協力して子どもたちの成長を育んでいます。
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ばね工場見学埼玉県立熊谷工業高等学校様2023年11月21日、埼玉県立熊谷工業高等学校の生徒のみなさんが、ばね工場見学に来られました。
熊谷工業高等学校は、1966年(昭和41年)に埼玉県立熊谷商工高等学校から分離独立して開校しました。教育目標は、「育んだ心、深めた知識、学んだ技術を総合し、社会貢献できるスペシャリストの育成」を目指しています。
熊谷工業高等学校は、半世紀以上にわたって今日の「ものづくり創造立国 日本」の礎となる有為な人財を多数輩出し、産業界において高く評価されています。
熊谷工業高等学校のある熊谷市は、埼玉県北部に位置し、人口約20万人の都市です。
埼玉県の北部地域で最も多い人口を誇り、北部経済の一大拠点です。
埼玉県熊谷市は、夏の気温の高さで全国的に知られています。
特に1990年代以降は、「あついぞ!熊谷」としてメディアに取り上げられる頻度が高くなりました。
2018年7月23日には、熊谷市では最高気温41.1℃を観測し、日本観測史上1位の記録となっています。
また、熊谷市は「スポーツ熱中都市」宣言を行っています。
熊谷スポーツ文化公園にはラグビー場が設置され、「ラグビータウン 熊谷」をうたっています。
弊社のある東大阪市も「ラグビーのまち 東大阪市」としてPRしています。
東大阪市の花園ラグビー場は(日本最初のラグビー専用グラウンド)は、全国高等学校ラグビーフットボール大会の会場となっています。
2019年の「ラグビーワールドカップ」では、熊谷市も東大阪市もともに開催都市に選定されました。
熊谷工業高等学校にはラグビー部があります。
全国大会優勝1回、準優勝1回、ベスト4が3回、ベスト8が2回という、素晴らしい実績を持っています。
熊谷工業高等学校ラグビー部のモットーは「挑戦する者だけにチャンスはある」です。「練習の苦しさや、厳しさに耐えた者だけが本当の喜びや自身を勝ち取ることができる」としています。
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