「マルチ焚火台 danran」
6月2日3日にあった震災対策技術展も無事終えました。
同じ日に行われた名古屋の中部ライフガードもおかげさまで盛況のうちに終えることができました。
ありがとうございました。
大阪の方は、開会式から関西大学の河田教授が登場し、防災イベントとして盛り上がっていました。
弊社のブースもかなり目立っていたからか、テレビ局の取材も多数うけ、
関西テレビのニュースでも弊社商品が放映されました。
取材のときは色々説明して実験もさせていただきましたが、オンエアーは2秒程度でした・・・。
が、新商品のレスキューテントを大々的に映していただきました。
ありがとうございます。
今回も良い場所にブースを構えることができました。
受付を終えてすぐのところだったので多くのお客様にご覧いただけました。
また熊本の地震以降、防災備蓄の中でもトイレの備蓄の関心が強くなったのが
お客様とのお話を通じて伝わってきました。
災害が起こると、飲んだり食べたりは困ることは容易に想像はできますが
実はもっと困るのがトイレなのです。
このような展示会や防災訓練などを通じて、
災害用トイレ「マイレット」を少しでも多くの方に知っていただき、
備えていただくことで、防災ではなく減災を進めていただくようになればと思います。
企画営業部 久保
明日6月2日3日は、名古屋の中部ライフガードと、大阪の震災対策技術展展の二ヵ所にマイレットが出展します。
どちらも入場無料です。
ご来場お待ちしております。
企画営業部 久保
久々に更新です。
熊本の地震の影響のどたばたも終息しかけたころに
新テントの発売と6月の展示会のブースデザインや準備など
毎日追われ追われて5月が終わりかけています。
先週は岸和田市に爆破予告の書き込みがあったり
どたばた連発の中、岸和田市の総合防災訓練が
競輪場の駐車場でありました。
今年も受付で弊社の携帯トイレが参加賞として
プログラムと一緒に配られたほか、大阪府電気工事工業組合様も
今回ノベルティとして弊社の携帯トイレをオリジナルデザインで
採用していただきました。
ありがとうございます。
今年もライフライン系の企業や自衛隊、海上保安庁など
災害時の連携をとる必要のある団体を中心に、消防団や水防団など
地元の団体やケーブルテレビ局など様々な団体企業の参加でした。
朝8:30にM9.0の南海トラフ巨大地震が発生したという想定で訓練開始。
消防の車や壊れた家からのレスキューやヘリでの救助、水防団による土のうや堤防作りなど真剣な訓練が続きます。
小学生や幼稚園児の避難訓練や、
各団体の展示ブース、地震体験車などもあり、消防署の展示にも防災用品として弊社の商品を展示していただいてました。
炊き出しは自衛隊のカレーでした。
仮設のトイレも一日だけでしたが、3基と身障者用のものがありましたが、参加人数の割に少なく思いました。
特に身障者用は、大きなものですが、実際にはすぐにいっぱいになりそうなもので弊社のマイレットのような処理剤の必要性を感じます。
また地元の防災訓練ということで、祭りで顔を合わす町内の人にも多数会い、こういうのも共助につながるなと思いました。
来月は2日3日とグランフロント大阪で震災対策技術展、名古屋で中部ライフガードTEC2016
防災・減災・危機管理展が行われ、
弊社も社員が二手に別れて両方出展します。
詳しい情報は追ってお知らせ致します。
企画営業部 久保
熊本の震災も長引いており、避難所に入れない方が車で寝泊りをして、それが原因でエコノミークラス症候群と呼ばれる症状で、ついには死者まで出てしまいました。
エコノミークラス症候群とは、肺動脈血栓塞栓症という病名で、
簡単に言うと肺の血管が急に詰まってしまう病気のことで、水分を取らなかったり、座ったままの体制で足を動かさない等の状態が長時間続くことにより血液がドロドロになったり固まってしまって、それが歩いたりしたことをきっかけに血の塊が肺に行ったときに血管が詰まるような病気だそうです。
これだけ頻繁な地震があると建物の中にいるのが怖い、車の方が揺れても安心、プライバシーは車の方がなど様々な理由で車で寝泊まりするのですが
キャンピングカーやワンボックスの荷台等で無い限り足を伸ばして寝るのは不可能です。
仮眠などでも座ったままだと足がむくんだりしますので良くないのは事実です。
朝日新聞デジタルにわかりやすいエコノミークラス症候群の予防の図がありましたので引用させていただきます。
被災地の方が一日も早くゆったり寝られる場所が確保できることを願います。
企画営業部 久保
16日未明に起きた熊本の本震はこちらでも揺れてびっくりしました。
震度5以上で鳴るように設定してるスマホの災害情報アプリもどんだけ鳴るねんってぐらい成り続け、立て続けに揺れることにより建物の倒壊などを引き起こしています。
本震の方が後で来たり、大分など離れたエリアの地震を誘発したりと、
気象庁も前例がないものだらけで予測不可能という感じでした。
昨日の夕方と今朝のNHKニュースで弊社が平成16年に大阪府に納入させていただきました、
元祖マイレットが救援物資として熊本へ送られるというニュースが流れていました。
http://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20160417/4608381.html
当時はまだ 毎日広告という社名でした。
(NHKニュースより)
商品名も トイレ用ビニールパックせっととなっていて、組み立て式の大型テントの仮設トイレの付属品という位置づけで、これを小型化した商品が今のマイレットmini10やS-100になっています。
被災地では必要としてるものと送られてくるもの、タイミングなどいろいろあると思いますが、初動でどれだけ役に立つかが勝負です。
備蓄は自分でするという意識を最優先にもち、進めていかないとという気持ちに改めてなりました。
企画営業部 久保
昨夜最大震度7を記録し、震度6以上の余震が続いている熊本県。
家屋の倒壊などにより亡くなられた方もあり、ご冥福をお祈りします。
今回の地震は時間的に夜の9時半ごろで、起きている人のが多かったので、家屋の倒壊などがあっても逃げることができた方も多かったのでしょうか?
熊本というと阿蘇の噴火も気になります。
熊本城の石垣の崩壊や、天守閣の瓦もだいぶ崩れていて地震の揺れの 激しさがうかがえます。
中学の修学旅行や卒業旅行で行ったツーリング、イベントの仕事でと3回行ってますが、古い建物が多かった印象もあり、
木造の古い建物が多いのが家屋倒壊による死者につながっている気がします。
また余震で震度6強とか大きいのが次々くるとおそらく夜も眠れない と思います。
救援物資も次々入っているのと、被害の大きなエリアが狭いので救援も早いようです。
ライフラインでは、約2万5000戸で水道が断水し、約1万4500戸で停電、約4600戸でガスが止まってるそうです。
ことが起こってから物資を調達しようとしても、初動段階では難しいのが現状です。
常日頃から物資の備蓄や食料のローリングストックなどで対策をしていきましょう。
企画営業部 久保
昨日の新聞各紙で首都圏の都心部で大地震があったらどうなるかって記事が載っていました
産経新聞 3月30日(水)より引用
都心で大地震、そのときあなたは…30代会社員の夫と帰宅待つ妻、再会できるか
一斉帰宅抑制策のイメージ(写真:産経新聞)
首都東京を襲うマグニチュード(M)7級の大地震が発生したとき、身の回りで一体何が起きているのだろうか。政府が29日にまとめた首都直下地震の応急対策活動計画を基に、埼玉・大宮の自宅から東京都心に通う30代会社員の夫と帰宅を待つ妻をめぐる状況をシミュレーションした。
◆1日目
まだ肌寒い3月下旬のある日。午後7時過ぎ、夫が会社のある東京・大手町のビルを出た直後、「ドドドド」と地面が揺れた。
階段で12階の会社へ戻ったが停電している。自宅の妻が気になり、電話をかけたがつながらない。災害用伝言ダイヤルの171をコールして伝言を入れた。
会社にいても、備蓄品を管理する上司がいない。東京駅に向かうと列車は全て運休、構内は大混雑だ。駅員から一時滞在施設として近くのホールを案内された。
大宮まで歩けば1、2時間では済まない。悩んだ末、ホールヘ。配られた毛布で眠りについた。
妻が買い物先から帰宅したところで地震が発生。家は無事だが、未固定の家具が倒れていた。停電したが携帯電話は電波が入った。ニュースサイトには「都心南部で震度7」。夫の顔が頭に浮かぶ。ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)のメッセージ機能で「大丈夫? 私は無事です」と送る。伝わるだろうか。蛇口をひねっても水は出ない。スーパーで備蓄品の特売をやっていたのを苦い気持ちで思い出す。
◆2日目
翌朝。夫は慣れない環境で熟睡できなかった。ホール前の道路が緊急輸送ルートで警察や消防の車両がひっきりなしに走る。区職員から3日間は出ない方がいいと告げられた。備蓄のおかげで食料や水、トイレの心配はないが携帯電話の電源は切れてしまった。
家を出てスーパーへ向かった妻。幹線道路は通行禁止で「広域支援」と書かれた自衛隊車両が走っていた。倒壊した木造家屋では救助活動が行われている。救助隊員から「火災が起こると危ないから離れて」と注意された。スーパーは商品棚がほぼ空。わずかな食料と水を買って帰宅した。車で夫を迎えに行けないか。でも幹線道路のガソリンスタンドで支援車両以外は給油できないと書いてあったのを思い出した。
◆3~4日目
さすがに夫も疲労がたまってきた。4日目の夜になったところで発生から72時間が経過。徐々にがれきが撤去され、徒歩での帰宅を決意する。「帰宅支援ステーション」のコンビニエンスストアで水をもらった。途中から大宮まで臨時バスが出ていた。家の近くの中学校に多くの車両が止まっていた。避難所になっているようだ。妻はいるだろうか。
家の食料が尽きた。夫はどうしただろう。携帯電話の電源を入れると市の情報メールが入ってきた。近くの中学校が避難所になり、食料の配布を始めるらしい。行ってみると支援物資が県外から続々と届いていた。避難者リストに夫の名前はないが、ここにいたなら会えるだろうか…。
■飲食料のほか、日用品の備蓄を
今回公表された国の計画は、地震発生3日目までは自治体や家庭の備蓄で対応することが前提となっており、食料などの救援物資は4日目(発生から72時間)以降に避難所などに届けられる予定だ。では何を用意すればいいのか。
災害発生時の対処法などについて東京都がまとめた防災ブック「東京防災」では、普段自宅で利用している食べ物や日用品を少し多めに備える「日常備蓄」の実践を推奨している。
特に東日本大震災の際は、救援物資として各地から大量の食品が届けられた一方、女性の生理用品や乳幼児の食品、おむつなどが不足する事態も発生。日用品、生活用品の備蓄の重要性が注目された。
特定の処方薬や、コンタクトレンズ、食物アレルギーを持つ人の食料品など、特殊な事情を抱える人が日々使うものは、救援物資で代用できないケースが多く、日常の備蓄がより必要になる。
3.11で帰宅困難者になった経験からもうなずける内容です。
企画営業部 久保
三月も最終週に入り、やっと繁忙期の出口も見えてきました。
そんな中でも17日から22日までは岸和田市の山直市民センターで、
昨日27日は貝塚市北小学校区の防災訓練でたくさんの方にマイレットシリーズをご紹介させていただきました。
特に地域での防災訓練は普段あまり防災に関しては意識されていない方も多く参加するため、食べ物や飲み物も必要だけど、トイレはもっと必要だし困りますよというのがよくわかっていただけたかと思います。
年度が変わってしばらくは防災訓練はありませんが、今後もこのような活動をメーカーとして続けていきたいと思います。
また6月の2日(木)~3日(金)に大阪はグランフロント大阪で震災対策技術展。 名古屋は中部ライフガードテックに出展いたします。
ブースNoなどは追ってお知らせいたします。
企画営業部 久保
12日の土曜日、泉南市の いずみ台自治会さんの防災訓練に参加させていただきました。
朝9時に町内会の放送で避難のサイレンと放送が流れ、その後一時避難場所に集合するという流れで、
その場所に弊社商品を並べて見ていただきました。
3.11関連のテレビが多いからかみなさん興味を持ってマイレットのブースをご覧になられていました。
水や食料は備蓄としては思いつくんですが、トイレはなかなか気付かない方が多いのも事実です。
こういう機会でしか体験できないプラダントイレやマイペールに実際座ってもらったり、
凝固剤の固まる様子を見ていただいて、災害時のトイレ備蓄の大切さと、自助・共助の大切さは分かっていただけたかと思います。
この時期は他にもあり、大阪市下水道科学館(大阪市此花区)では防災展に弊社商品を展示していただいております。
こちらにもマイペール、プラダントイレを置いていますので是非ご体感下さい。
企画営業部 久保
今日で3.11東日本大震災から丸5年を迎えます。
あの日あのとき、何をしていましたか?
私自身は東京ビッグサイトで展示会中に地震にあいました。
最終日だったのですが、3時過ぎに中止が決まりました。
沿岸部だというのに津波のつの字も思わずに片づけをしていました。
最初揺れてる時は結構冷静でしたが、2回目に大きい揺れが来た時、一斉にみんな出口に走りだしました。
怪獣映画とかによくあるあんな感じです。
しかも外に出ると近くのビルの火災で煙が立ち込めてて、本当に怪獣とか出てきた?ような風景でした。
帰りは帰宅難民になりました。
止まってる ゆりかもめや一応動いてたバス、全然いないタクシー、レンタカー・・・みんな考えることは同じ。
寒風吹きすさぶ中、2時間ぐらい歩いたかな?
遠くに見えた東京タワーと街の明かりが今もまぶたに焼き付いています。
それからたどり着いた築地のビジネスホテルのロビーのテレビを見て、
初めて何が起こっているかを知りました。
当時は携帯通じず、ガラケーだから情報も入らない。
今ならスマホでもっと情報収集できたかな?
あの時は電気も水道も生きていたので、トイレも使えたし、ホテルの ロビーで一夜を明かさせてもらいましたが暖房も切らずにおいててくれたので風邪もひかずに帰ってこれました。
帰りの飛行機は動いてないから次の日、新幹線で帰れましたが現金が なくてチケット買えず、改札を出たところに たまたまあったATMでお金をおろして上司と同僚の3人分のチケットを買えました。
今思えばすごい貴重な経験だったかなと思います。
いまは南海トラフや様々な災害の予測があります。
自助や共助も大切です。
私のように、アウェーでの被災というのも今後は考えましょう。
企画営業部 久保