メイキングof『首長パンチ』3 本はこうしてできあがった

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いよいよ明後日発売の『首長パンチ』
書くことを渋っていた市長が、
書く気になってくれたのは
意外なひと言がキッカケでした。

大阪で市長と会った


インタビュー記事がサイトにアップされてしばらくした頃、市長から連絡が入った。「大阪に行くから、時間があれば会いませんか」とのオファーである。もちろん、喜んで会いにいった。


実は市長には断られたが、市長に本を書いてもらう企画は諦めていなかったのだ。ネタはいくつかある。取材の中でおもしろかった言葉が二つ、とても印象に残っていて、これは企画になると自分なりに温めていたのだ。


一つは「市長は経営者である」論。市長は市役所という組織の経営者である。従って経営成績は税収で判断される。斬新な考え方だし、経営的な視点を持ち込めば、自治体の財政状況も変わるだろう。実際、武雄市は樋渡市長になってから、どんどん赤字を減らしている。これならビジネスマンにも刺さる本になると思った。


もう一つは「職業として市長を目指せ」論である。樋渡市長自身が昔、ある町長さんの話を聞いて「よし、自分は将来、首長になる」と決めたという。そして全国最年少市長となった。市長は決して特別な仕事ではないという。お金持ちでなくとも、政治家の二世でなくとも、やろうと思えばできる。『青年よ、市長を目指せ』といったタイトルで書いてもらえないかと企んだ。


そんな話を大阪で会ったときに持ち出した。場所は阪急百貨店のカフェ、平日の昼下がりだから、客もまばらだった。これなら、乗ってもらえるのではと思った話だが、またまた意外にも市長は首を縦に振らなかった。


といって全然ダメという雰囲気でもないのだ。「おもしろいねえ、良い企画だと思いますよ」とは言ってくれる。でも、その先が続かない。どうしてもダメですか、と押しても「書く」とは言ってくれない。普段はそんなに押しは強くない方だけれど、なぜか、このときだけは、ちょっとばかり意地になった。


そこで、再度持ち出したのが、病院問題だ。そもそも、このテーマこそはぜひ世に問うべきだと考えていた。そのために市長のブログも事前に読み込んだのだ。そのブログの中で引っかかっていた記事が、一つあった。さらっと書かれていたが、知り合いが救急搬送されたが、手遅れでなくなったという記事である。


この話を切り口にした。つまり病院問題は人の命に関わるテーマなのだと。武雄の成功事例が伝われば、全国で同じような問題に悩んでいる自治体の参考になる。引いては、それで助かる命があるのではないですか、といささか話をオーバーにしすぎたかと思いながら話していて、ふと目を上げると市長の様子がいつもと違う。


それまでは、軽いノリでテンポ良く話が弾んでいたのに、急に樋渡氏は黙り込んでしまった。しかも、珍しく難しい顔をされている。もしかして「本を書け」とあまりにしつこく迫りすぎて、気を悪くされたかと思い、気まずい沈黙が流れていった。


沈黙を破ったのは市長だ。「その話を持ち出されるとは思いませんでした」と語り口からして、いつもと違う。ひょっとして気づかぬうちに、とんでもなく失礼なことを言ってしまったのか。恐縮するというか、こちらには「すみません」としか言葉が出てこない。


「あの事件が、僕にとっては決定的だったのです。何としても、病院問題は、自分の手で解決しなければならない。そう決意した。なぜだか、わかりますか」


そう聞かれてもわかるはずがない。問わず語りに市長が教えてくれたのは、なくなったのが実は同級生だったという話。実際問題として、友人が亡くなった理由はわからない。救急対応の問題だったのかどうかも不明である。でも、当時の武雄市民病院が万全の体制でなかったことだけは否めない。そのことには、どうしても悔いが残る。人の命の重さを痛感し、二度と後悔しないために、真正面から病院問題に体当たりで取り組んだのだと、市長は話してくれた。


そしてきっぱりと言ってくれた。
「書きましょう。僕の話で、救われる命があるかもしれないのなら、書くことは僕の使命だと思います。ぜひ、手伝ってください」


遂に市長が書く気になってくれた。