「カルチャー・ショック」な~んにもないメキシコ編。

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国内外の文化から受けた「カルチャーショック」が、私のデザインに大きな影響を与えてくれたのです。

何も無さ過ぎでカルチャ~ショックを受けたのは、メキシコのバハ半島でしたね~。

これもかなり前の事で申し訳ないですけど、バハ半島は今も変わっていないと思います。1989年11月ロスアンゼルスのドイツ系アメリカ人B・サルツマンのファクトリーSHOPにに集結。押しかけたチーム員は9人。その内ライダーは4名、用意したマシンも4台。ロスで仕度を済ませ3日後にはメキシコへ出発しました。

大阪のたこ焼き屋ほどある”Bajaのタコス屋”
ロスから500km南下すると、メキシコの国境。さらに200km南下するとエンセナダという港町に着きました。ここが2日後にレースが行われる町です。すでに暗くなっていた町で営業していたのは、お待ちかねの”タコス屋”だけ。しかも2軒並んでいて、お互いの店をケナシあっていました。まるで道頓堀の”〇〇たこ”みたい!

初めて食べたタコスは味が薄く、とても旨いとは言えないものでした。”タコス屋”はどんな田舎にもあつて、本当に大阪のたこ焼屋と同じです。ビーフorポーク味がポピュラーで中でもアボガド入りが旨い。。トルティアに刻んだレタスをのっけて…パクリ!濃いコーヒーと付け合せに生ラディッシュが田舎スタイル。



((チンサム))橋のない川
エンセナダは大阪で言えば富田林位の規模でしょうか。雨季以外は雨が降らないので、町の乾いた川に橋はほとんど無く、道路は川の形に凹んでいました。郊外の道の川部分も凹んでいて140km/hで走るとウオータースライダーみたいなスリル感があって楽しい!そう、チンサム感ねっ!



何もないのも文化?
バハ半島の殆どは大自然。木もなく、あるのはサボテンと裸の山。以外と富士山より高い山が多く。冬には雪も積もります。集落は50kmごとにあって、民家は10~20ケン程度。牧場を経営している農家が多い。baja1000マイルレースはこの牧場を繋ぐ道を走ります。↑写真はドライレイクを抜ける国道。車の無い人は10ガロンの水を持って歩いて移動します。道の周りは荒野。砂はパウダー状でカメラにも入り込んできます。(ライダーは私)


硬い道の上に積もった柔らかい砂に、何度もタイヤを取られて転倒しました。広い道では100km/h以上出せるので、楽しくなってつい飛ばし過ぎ、テストラン中に何台もオーバーヒートしてスタックしました。その都度、地元のメキシカンやアメリカのファミリーに助けられます。時には重いライトを外したまま走ってしまい、暗くなって灯り無しでスタックしたバイクをバイクで牽引した事もありました。自然を甘く見ていた都会育ちの我々と、地元の人達との生活文化の違い、たくましさの違いを感じました。

苦く楽しい経験から生まれたデザイン
このメキシコバハ半島の苦く楽しい経験から、バイク初のプロジェクターヘッドランプダイクロハロゲンヘッドランプ。そして今デザインしているインテリア照明が生まれました。


大人な子供たち
人間的な文化の違いを感じたのは、ダッヂ(アメ車)で彼女を家まで送って見せてくれた小学生の男の子と、スタンガンを自慢して見せてくれた、これもホテル雇われた10歳くらいの子供でした。その大人に認められたいという思いを持つ、子供達の環境や文化の違いと力強さを感じましたね。

何もないと思ってた、メキシコ・バハ半島。そこには創造を絶する大自然と、力強く生き抜く人々の存在がありました。文化・カルチャーは何も有名な建築物や産業だけで無く、人々の心の中にもあるんですね。。
凡十郎