橋下知事の改革と変化を嫌う心理

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人間は慣れ親しんだやり方を変えさせられることに、心理的抵抗を強く感じるという。そこにズバッと切り込んだのが、大阪府知事・橋下さんだろう。橋下知事の改革に対する大阪府職員のコメントには、そうした人間心理が如実に表れているようだ。
批判は手法に向けられる

・知事の手法は、俗っぽくいえば「かまし」「はったり」。行政の長としての手法とは異なる。修正を望みます。
・180万人の支持を受けたからと鼻高々で、府の権力をすべて握ったと錯覚しているようだ。
・「思いつき」が「思い込み」になり、今や「思い上がり」になっている。リーダーシップをもう一度考え直すべきだ。
・役人いじめの言動にはうんざり。府職員が今まで積み上げてきたことが全否定されているみたいです。
・「赤字だから廃止する」という考え方は「あたたかい行政配慮」に欠けると思います。

批判はすべて知事の手法に向けられたものばかりで、そこには本質的な問題解決に向かおうという姿勢がまったくうかがえない。例えば180万人もの府民が支持していることの重みをまったくわかっていなかったり、知事のやっていることを「役人いじめ」と捉えたり。あるいは「赤字だから廃止する」考え方と「あたたかい行政配慮」を対立させてみたり。要するにこれまでのやり方を変えなければならないことに対して、皆さん反発していらっしゃるようだ。


評価は具体的な内容そのものに

・職員給与に手をつけた点。議論をオープンにした点など今まで考えられないことばかり。
・私学助成という聖域化した分野に踏み込んだこと。議会などに迎合せず財政再建に取り組んだことは評価したい。
・伊丹空港の縮小を明言したのは今までの知事ではなかった。
・長年続いてきた教育界の体質をゆり動かしたことは見事。
・知事にメールすることがあるが、すぐに返事が返ってくる。そのスピード感と熱心さには感服している。
(いずれも毎日新聞2009年1月25日付け朝刊27面)

逆に具体的な功績が出ている事例は、それなりの評価が出ている。やるべきことを見定め、やり方を変えることによって成果が出ているのだから、これは認めざるを得ないだろう。


批判と評価の好対照

上記はいずれも府職員からのコメントだ。新聞記事に掲載されたものだけという留保がつくが、見事なまでのコントラストではないか。知事に対して批判的なコメントを出している人たちは、知事がこの一年でやった「こと」に対してではなく、その「やり方」を集中的に非難している。そのコメントを読む限りでは、内容についての是非などまるでまったく関係ないみたいだ。

推察するに、とにかく自分たちがこれまで慣れ親しんできた「やり方」を強制的に変えられた、そのことに憤懣やる方ないのだろう。彼らのコメントからは、府政にとっての意義とか、府民に対する意識は微塵も伺えない。まるでお気に入りのオモチャを取り上げられて駄々をこねている子どもといった印象を受けるのは、筆者だけだろうか。

一方で知事を評価している人たちのコメントは、橋下氏がこの一年間に積み上げてきた行動とその成果に向けられている。コメントをピックアップする時点で毎日新聞なりのポジショントークが入っているのだろうが、あまりにも好対照だと思う。


破綻企業の社員に選択肢はあるのか

橋下知事は就任にあたってまず職員にきっぱりといった。大阪府の財政は企業にたとえるなら破綻状態なのだと。その意味を理解した職員、理解できなかった職員、理解しようともしなかった職員がいるようだ。

企業が倒産すれば、従業員は基本的に解雇されるか大幅な減給を強いられる。それが嫌なら自主退職するしか選択の余地はない。もっともラッキーな場合でも再建請負人の指示に従い、おそらくは今までとはまったく異なるやり方で仕事に臨み(イヤなら辞めるしかない)、処遇が一変しても文句は言えない。それが倒産の意味である。

にも関わらず大阪府の職員の方々は、やり方を変えられることに対して不平・不満を公然と口にする。確かに府の財政がここまで悪化した責任は、個々の府職員に帰せられるわけではないだろう。その時々に知事としてリーダーシップを発揮したり(その結果が間違った方向へ進むことになった)、あるいは何も発揮しなかった(それ故、なし崩し的に現状まで悪化していった)人がいるわけで、彼らがまずは責められるべきだ。。職員からすれば自分たちには責任はない、と主張するのも一理はある。

ただ、放っておけば倒産間違いなしの状況にある(あるいは既に倒産状態といった方が正確なのだろうか)ことが明らかなのだ。何かを変えない限り、状況が改善するはずもない。ところが、やり方を変えることに対する心理的ハードルは恐ろしく高いのである。


いきなりの単年度黒字決算

数字がすべてとは言わないが、とりあえず大阪府の財政は改善されたようだ。これは間違いなく橋下改革の成果である。橋下府政1年目、20年度決算について当初は赤字が見込まれていた。しかし最終的には黒字となる可能性が高いようだ。21年度については現状の大不況による大幅な税収減を計算に織り込んでも、予算レベルで黒字化のメドがついたようだ。

これだけはっきりとした成果が出ている橋下改革を、知事批判派の職員たちはどう評価するのだろうか。あるいは税金を払っている府民は、どう判断するだろうか。変えるというのは基本的に『やり方を変える』ことを意味する。逆にいえば『やり方を変えず」して、変化など起こせるはずがない。気持ちを新たにしてとか心機一転とかいうけれど、そんなかけ声だけで本当に変化を起こせれば世話はないのだ。


なぜ、変えることを嫌がるのか

世の中には二通りの人がいる。今までのやり方をさっと変えることのできる人と、なかなか変えようとしない・変えることに抵抗する人と。その違いはどこから来るのだろうか。おそらくさまざまな要因が絡み合っているはずだから、一概にこうだと割り切ることはできない。

個人的には、少しずつでもいいから毎日何かが変わっていないとつまらないタイプである。だから仕事のやり方にしても、いつも試行錯誤を繰り返している。変わることが常にプラス方向に働くわけじゃないこともわかっている。それでも、昨日も今日も明日も同じ日々が続く『シーシュポスの神話』的状態はいやだ。

とはいえ逆もまた真なりのはずで、毎日きちんきちんと同じことを同じように繰り返すことにこそ生きる意義を見出す人たちからすれば、日々コロコロ変わる生き方なんて無駄の極地なのだろう。

そういう見方があることは重々承知した上で、それでも何も変えずに同じことを繰り返していれば、それは座して死を待つことを意味する場合には変えなきゃイカンと思うのだけれど、違うのだろうか。