たくみ切子 / 盃「あじろ」
【 OX・COW の時代 /1】
- 2009/01/06 14:00
- 投稿者: ゲストユーザ カテゴリ:思うこと。
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オーディンデザインの井川です。今月から定期的に、デザインの話でも、作品紹介の話でもない、その殆どが私の独断と偏見に満ちたひとり言の様なものを書かせて頂こうと思います。視点は「ビジネスと生き方」を主体にしたいと思っています。
お付き合い頂ければ幸いです。つづきは本文で!
■今年は丑年
◆猫を騙し、牛の背に乗って神様の前に一番乗りした小ざかしいチョロチュウの一年は終わり、そのチョロチュウを文句も言わず運んだお人好しの丑年が始まりした。
十二支で言う OX/COWの年の始まりです。 OXは、真面目に働くものの○マル・×バツがハッキリすると云う事でもあり、Cowの「C」はChange交代、Chance好機、Creation創造、Cowの「O」はOriginality独創的、Only one唯一、そしてOur私達の、です。又Cowの「W」はWord wide世界的な、 Wonder驚き、仕事のWork、などの意にもなります。
丑年は金融は兎も角として、 真のJAPAN/日本時代の幕開け年になると思います。
◆いろいろな牛
●丑が牛になった途端 いろいろな牛がいることに気付きます。ホルスタインに代表される乳牛、バターやチーズ用に適した脂肪分の多いジャ ージー種、肉牛ではアンガス種、ヘレフォード 種、黒毛和種など、また闘牛ではスペインのアンダルシアに日本の和牛、等々、牛の種類は50 種弱あり、これらの家畜牛は絶滅種オーロック スがその祖先と言われています。日本での牛の歴史は縄文時代からで、平安時代には既に飲乳をはじめバターやチーズも食されていたと「延喜式」にはあります。只、水牛だけは、これらの家畜牛とは「属」が違う為、品種改良に使われる事は無かった様です。
●と言う様な牛のウンチクは兎も角として、今年から当分の間は中国の故事に出てくる「土牛」の様に、どんな困難にもめげず黙々と働く事が必要な時代なのかも?
そんな覚悟が必要!
■様々な視点
◆昨年は、そして今年は
●昨年は、本当に信じられない様な事が沢山起きました。きっと今年も色々あるのでしょう。 でもその色々の一つ一つに一喜一憂するだけでなく、その一喜一憂している自分を冷静に見つめるもう一人の自分を持てれば、ものは多面的 に見え、事の本質が見える様な気がします。
●人間と他の動物との大きな違いは「①言葉、②時間、③心(感情)の有無」ではないでしょうか。 ネアンデルタール人は、アゴの骨格(喉の構造) がホモサピエンスと少し違った為に言葉を持てず、滅んだとも言われています/やはり言葉が大切なのです。
*(最近の研究ではチンパンジーなどの霊長類も言葉、時間概念、心がある様だという事が分かって
きましたが、 人との間にはマダマダ大きな隔たりがあります)
◆過ぎたるは・・・or 喉もと過ぎれば・・・
●先月の「2008の総括」を年が明けて改めて別の視点(時間軸)で見直しますと、それは人が 誤りに気付く為の、そして歴史の必然としての激震ではなかったのでは? と思えてきます。
●人は過ちを起こす動物ですが、過ちを改められる動物でもあります。要はその「過ちを過ちと気付くか否か」が問題です。そして今、その過 ちに気付いた人達が声を上げ始めました。
暫らくは厳冬経済が続くのでしょうが、目を凝 らせば 新たな光や胎動が見えてくる筈です。でも元旦のNHK12ch23:50の討論では、「過ち」への理解度(姿勢)は人様々と感じました。
「景気」と云う字は気と景から成っています。 景は景色で気は気持ち。 だから景気の良否は 「気の持ち様」となります。ホントかな??
お付き合い頂ければ幸いです。つづきは本文で!
■今年は丑年
◆猫を騙し、牛の背に乗って神様の前に一番乗りした小ざかしいチョロチュウの一年は終わり、そのチョロチュウを文句も言わず運んだお人好しの丑年が始まりした。
十二支で言う OX/COWの年の始まりです。 OXは、真面目に働くものの○マル・×バツがハッキリすると云う事でもあり、Cowの「C」はChange交代、Chance好機、Creation創造、Cowの「O」はOriginality独創的、Only one唯一、そしてOur私達の、です。又Cowの「W」はWord wide世界的な、 Wonder驚き、仕事のWork、などの意にもなります。
丑年は金融は兎も角として、 真のJAPAN/日本時代の幕開け年になると思います。
◆いろいろな牛
●丑が牛になった途端 いろいろな牛がいることに気付きます。ホルスタインに代表される乳牛、バターやチーズ用に適した脂肪分の多いジャ ージー種、肉牛ではアンガス種、ヘレフォード 種、黒毛和種など、また闘牛ではスペインのアンダルシアに日本の和牛、等々、牛の種類は50 種弱あり、これらの家畜牛は絶滅種オーロック スがその祖先と言われています。日本での牛の歴史は縄文時代からで、平安時代には既に飲乳をはじめバターやチーズも食されていたと「延喜式」にはあります。只、水牛だけは、これらの家畜牛とは「属」が違う為、品種改良に使われる事は無かった様です。
●と言う様な牛のウンチクは兎も角として、今年から当分の間は中国の故事に出てくる「土牛」の様に、どんな困難にもめげず黙々と働く事が必要な時代なのかも?
そんな覚悟が必要!
■様々な視点
◆昨年は、そして今年は
●昨年は、本当に信じられない様な事が沢山起きました。きっと今年も色々あるのでしょう。 でもその色々の一つ一つに一喜一憂するだけでなく、その一喜一憂している自分を冷静に見つめるもう一人の自分を持てれば、ものは多面的 に見え、事の本質が見える様な気がします。
●人間と他の動物との大きな違いは「①言葉、②時間、③心(感情)の有無」ではないでしょうか。 ネアンデルタール人は、アゴの骨格(喉の構造) がホモサピエンスと少し違った為に言葉を持てず、滅んだとも言われています/やはり言葉が大切なのです。
*(最近の研究ではチンパンジーなどの霊長類も言葉、時間概念、心がある様だという事が分かって
きましたが、 人との間にはマダマダ大きな隔たりがあります)
◆過ぎたるは・・・or 喉もと過ぎれば・・・
●先月の「2008の総括」を年が明けて改めて別の視点(時間軸)で見直しますと、それは人が 誤りに気付く為の、そして歴史の必然としての激震ではなかったのでは? と思えてきます。
●人は過ちを起こす動物ですが、過ちを改められる動物でもあります。要はその「過ちを過ちと気付くか否か」が問題です。そして今、その過 ちに気付いた人達が声を上げ始めました。
暫らくは厳冬経済が続くのでしょうが、目を凝 らせば 新たな光や胎動が見えてくる筈です。でも元旦のNHK12ch23:50の討論では、「過ち」への理解度(姿勢)は人様々と感じました。
「景気」と云う字は気と景から成っています。 景は景色で気は気持ち。 だから景気の良否は 「気の持ち様」となります。ホントかな??