関西・大阪を元気に(2)

◆前回、かっての大阪には、皆で頑張ろうという公共心の伝統があったが、最近は、このような公共心の低下が目立つようになった、と記した。

大阪の街は汚く(東京に比べれば)、あちらこちらにごみが落ちているのが見られる、ひったくりが多い、違法駐車が多い、乗り物などで横入りが多い、企業は儲かるものであれば、金をを使うが、街並みを綺麗にするとか、皆で住みよい街にするとかいう話になると、あまり協力しない、行政の中にも、街づくりを熱心に進めようとしている人がいるが、地元の人達の意見を充分取り入れていないので効果をあげていない、等々である。

◆なぜ、このようになって来たのだろうか? この疑問に答える明確な答えは難しいが、考えられるのは、江戸時代、大阪が大坂藩でなく、幕府直轄の天領であったことに起因するのかも知れない。

天領であったから、大坂には武士が少なく、町民が人口の圧倒的多数を占めていた。
従って、町民による自治が行われていたといってもよく、このことが良い面につながった、と言う点では、人々が協力して物事を進める好ましい雰囲気の醸成ができたということだ。そして、比較的自由な雰囲気の中で天下の台所という商業都市を生み出した。

しかし一方、悪い面では、リーダーシップを持った人がいなくなると、烏合の衆となり、まとまりがなくなり、各自勝手なことをしている状態になる、ということだ。今の大阪がそのようなひどい状態であると言うつもりはないが、そのようになる事態になって来たと思われる。

従って、このような事態を避けるには、今後、大阪の将来を担う若い世代の強力なリーダーの出現が望まれるのだ。

余談だが、「大坂を藩としないで幕府の天領としたのは大坂に力を与えないための幕府の戦略であった。この戦略は、いまだに国の構図として残っている」という、大阪21世紀協会理事長・堀井氏が言った記事をどこかで見たが、これは、これとして、このような意見もあるということを記憶にとどめて欲しい。

注:江戸時代、今の「大阪」は「大坂」という字が使われていた。

◆大阪には伝統と潜在力がまだ残っている。まだこれらが残っている間に、強いリーダーシップを持った若いリーダーが関西・大阪の各地で、「関西・大阪をよくしよう!」と街づくり、産業興しの狼煙(のろし)をあげれば、その他の人達も元気付けられて、その活動に参加するように思われる。

大阪では、江戸時代、世界で最初に先物取引が始まった。経済活動と情報が結びつき幾つかの新聞社も出来た。河村瑞賢が開発した東回り海路、西回り海路により、大坂は全国の物資の集散地として栄えた。北前船も北海道、東北から瀬戸内海を通ってやってきた。

金融、情報、物流。今最も求められる産業は元々大阪にあったのだ。
それが明治維新とともに、権威の中心が東京に移った(天皇が東京に行かれた)ことで、大阪の衰退が始まったと言われている。

◆それでは、大阪はどのように復活したらよいのか?
東京の真似をしなくてよい。地方分権時代に突入しようとしている現在、行政に頼らず、民の力でまず、活性化ののろしをあげ、それに官を巻き込むことだ。日本の場合、官は動きが悪いからだ。

復活の基になるのは、関西・大阪しかない伝統と歴史だ。
京都・奈良の歴史的価値は言うに及ばす、大阪にも、先に述べた江戸時代における商業都市としての歴史と伝統に加えて、仁徳天皇稜、等に代表される古代の歴史、難波の宮、更にはアジアとの距離が短かったことにより、韓国、中国、インド、ベトナムなど様々な人々の子孫が暮らしているということ、など誇るべきものが多い。

このような伝統と歴史を活用するのだ。

つい最近まで、私は大阪商工会議所の東成・生野支部の仕事に少し携わっていたが、生野区では、「わがまちクラブ生野」という集いがあり、生野区の活性化に向けて民間の方、役所の方が一緒になって活動している。
そこには生野コリアンタウンもあり、江戸時代、来日した朝鮮通信使との歴史的係り、等にも関心を寄せ、街づくりに活かせようとしているのが、印象に残った。

◆最後に、現在の関西・大阪は、東京に比べて情報発信力が弱いということだ。
大阪・神戸 米国総領事館領事・カミングスさんという人の発言を新聞でお見受けしたが、彼の言っていることが当を得た発言であるので次に引用させて頂く。


・来日した米国・中西部の副知事4人の話として、「こんなに良いところなのに、関西、大阪は聞いたことがなかった」という話があったが、これは印象的だった。

・米国の使節団に「自治体は、パンフレットやウエブサイトを使って誘致に取り組んであるが、分厚い資料ばかりで肝心な情報がない。プレゼンテーションも下手」と言われたことがある。聞く側がどういう立場の人達なのか、どういう情報を求めているかを考える習慣が自治体の方にはないようです。

・型にはまったプレゼンが多い。ウエブサイトも情報過多。煩雑でどこから入ればいいか分らない。役所は情報は量さえあればいいと思っている。ニーズがどこにあるか、少し勉強すればわかるはずなのに。

・大阪・兵庫・京都のそりが合わないのも一因です。それぞれに窓口があるから迷ってしまう。我々でさえも関西全域の情報を得るのに苦心します。
行政は自らの管轄しかみていない。関西はそれぞれの都市に歴史があり、拮抗しているから調整が難しいのでしよう。
→これは、昨年、自治体を超えた広域連合を目指す関西広域機構が発足した、ことにより改善されることを期待したいところです。

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このカミングスさんの発言は本当に当を得た発言です。情報発信の資料やウエブサイトを作るのに、官主導で作り、そこに現場で実際に実務をしている民の人達の意見が取り入れていないと言うことに尽きます。
このようなことを役所の人達も含め民間の者も大いに議論して反省しなければなりません。