関西・大阪を元気に(1)

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◆江戸時代に“天下の台所”と呼ばれ、経済・文化の集積地として名を馳せた大阪。
その賑わいを取り戻そうとの動きが活発だ。

3月29日にオープンした「八軒家浜(はちけんやはま)」がその一つだ。昨年は、天神橋に上方落語の天満天神繁昌亭が復活した。


◆「八軒家浜」は平安時代、京都を船で出発した「熊野御幸」の一行が船を下り、熊野詣でに陸路を辿った出発点と言われている。筆者も、地下鉄天満橋の近くに、旧熊野街道があり、天下茶屋方面の方向が刻まれている道標を見かけたことがある。

また、この「八軒家浜」は、江戸時代、伏見との定期船の船着場となり、淀川の舟運発祥地でもある。「八軒家浜」の名前の由来は、1782年、江戸幕府が官許の肩書きを許した8軒の定飛脚問屋が店舗を連ねたことに端を発する。

坂本龍馬等、幕末を賑わした多くの人物が、この船を利用して京都・大坂間を行き来していたことが司馬遼太郎の「龍馬がゆく」に描かれている。

今回、その場所の一つの区間に船着場と遊歩道が整備され、水上交通の拠点となる水上ターミナルが完成したものである。

遊歩道には、建築家・安藤忠雄氏が呼びかける「桜の会・平成の通り抜け実行委員会」の募金による桜30本が植樹されている。

◆このような動きにより大阪が元気を取り戻すのを願うのは、大阪府民全員の願いであろうと思うが、いまひとつ盛り上がらないのは、現在の大阪の人間が、市民、企業人、

行政、政治家など、皆が自分のことだけを考えて、「大阪をよくしよう」と一緒になって頑張る雰囲気がないからだ。

◆かっての大阪には、皆で頑張ろうという公共心の伝統があった。江戸は幕府が造ったのに対し、大阪の街は自分で造るという気概があった。

村田英雄が唄った「王将」に出てくる「八百八橋」という浪速の橋も、幕府が架けた公儀橋は少なく、淀屋橋を始め大半が町人が協力して造った橋なのだ。また、大阪市中央公会堂は北浜の株式仲買人の寄付、昭和の始めの大阪天守閣再建は市民、企業からの巨額の募金で実現した。

◆しかし、このような公共心の低下が最近、目立つようになった。

次回に続く。