Sun(サン)バッグ
広報誌制作から事業開発まで。編集者とデザイナーが、志を高める企画とデザインでストーリーの見える化を実施。
有限会社ゲイル
【代表者】 村松葉子・竹原伸一郎
【設立】 1997年4月
【資本金】 300万円
【従業員数】 8名
【会社概要】
元書籍・雑誌編集者を中心に、人と人、人と企業、人と社会のあいだを編集するために創業。
社名の「GALE」には、勢いのある「風」の意味があり、真心や本心から伝えたいこと、あふれるような想いや志を伝えていきたいという理念と、媒体という形にとらわれず、100年後にも自然と継承されるような風に乗るストーリーを編もうという目的を込めています。
【事業内容】
●編集・デザイン事業
1 企業、学校、官公庁の広報活動コンセプトの立案および広報・広告ツールのクリエーション
2 文化、歴史にかかわるPRコンセプトの立案およびツールクリエーション
3 企業の事業コンセプトおよびストーリー立案とコミュニケーションツールクリエーション
●超編集事業
1 経営者および社員向けのビジョントレーニング
2 経営者および経営幹部向けのセルフコンセプトブランディング
3 新事業開発、商品開発のためのアグリゲーションサポート
【主な取引先】
企業、官公庁等
凸版印刷㈱、㈱DGコミュニケーションズ、日本写真印刷㈱、㈱Vi-mile、佐川印刷㈱、㈱葛西、トッパン・フォームズ㈱、トータルメディア開発研究所、㈱エム・シー・アンド・ピー、㈱阪急デザインシステムズ、㈱ヤラカス館、㈱Jプロデュース、㈱大伸社、㈱マイナビ、㈱ブンカ、㈱アストラカン大阪、廣告社㈱、studio-L、ヴィズオンプレス㈱、根来産業㈱、㈱スリーエス、大阪府、オムロン㈱、エス・ハート・エス㈱、ほか(順不同)
【所在地】
〒550-0003
大阪市西区京町堀1-6-20 DKビル203号
TEL 06-6448-1700 FAX 06-6448-1900
E-mail : info@gale-edit.co.jp
GALEマガジン:https://gale-magazine.com/
私たちは企画・編集・デザインの仕事をしています。
御社に寄り添う、外部の広報室・デザイン制作室として捉えてください。
何かお困りごとはありませんか。
「そろそろ何か動かしたい」「何かが足りない」「変化したい」そう思ったときは、御社の転換点にあると考えられます。
私たちは、その思いを発見し、概念化し、表現し、社会に届けるお手伝いをします。
編集とデザインに特化してきた私たちは、常に企業経営のそばで広報を担ってきました。それは、「想像と創造」の思考と技術を持つクリエイターだからだと感じています。
創造するためには、まず想像がなければならない。Imaginationがcreationのベースとなるのです。お客さまがどういう課題を抱え、どのような悩みを持っているのか、そして何を欲しているのか、Imaginationを駆使して言葉やデザインとしてcreateしていくのです。
私たちは長年にわたり、インタビュー、編集、デザインの思考と技術をベースに磨きをかけ、会社案内、広報誌、書籍や展示、映像、WEB、広告など、様々な企画と制作を行っています。
「紙媒体やweb、映像など、クリエイティブワークを依頼したいと思っているが、どこに頼めばいいかわからない。ブランドロイヤリティを高めたいが、良い相談相手はいないだろうか」
そんな思いが出てきたら、私たちゲイルを思い出してください。
ワンストップで、さまざまな相談ができるゲイルのクリエイティブチームがあなたの課題にそっと寄り添い、一緒に課題を解決していきます。
その時、ゲイルは最高の、あなたの仕事の伴奏者になりえます。
先日、カンヌ映画祭で脚本賞を受賞した、監督・是枝裕和、脚本・坂元裕二作品「怪物」を鑑賞した。湖畔にある小学校を舞台に、親と子、先生と子どもたち、大人同士、子ども達同士の視点の違いで、登場人物の誰もが怪物に見えるという構成の妙に舌を巻いた。
久しぶりにすごい映画を見たなと思った。是枝監督の抑制の効いた映像美と坂元氏の入れ子構造のようなひねりのある緻密な脚本、そして遺作となった坂本龍一の音楽、その3つが見事な調和を見せて時間を忘れさせた。
詳しく書くとネタバレになるので、興味のある方はぜひ観に行ってほしい。
人間誰しもどこかに弱さ、醜さ、情けなさなんかを抱えているものである。ある一面を見れば、「こいつは何て変な奴なんだ」と思われることなんていくらもあるだろう。お互いに。でも、ある別の面を見れば、全然違った人間にも見えるだろう。
しかし、世の中には、ある一面だけをとらえてレッテルを貼り、徹底的に攻撃するような場面が、とくにSNSの中では多く見られる。最近は、その傾向がより強まっているようにも思う。嘆かわしいと苦言を呈したところで恐らくなくなりはしないんだろうな。
しかし、人を多面的に見て、その人を理解しようと努力することはできると思う。
以前、日本におけるユング心理学の泰斗、河合隼雄氏が京都大学を退官する最終講義でユングが提唱した「コンスタレーション」という見方を講義した(本になっている)。コンスタレーションとは星座のことで、ある星(ある出来事、ある一面)だけを見るのではなく、別の星も見、さらに別の星も見ながら、その星たちをつなげて、星座として見ることの大切さを説いていた。相手の心を星座として見る。人間理解として、なんと美しくロマンのある見方だろうか。
by竹原伸一郎
今年はブルース・リー没後50年だ。もう50年も経ったのかと感慨も深い。「燃えよドラゴン」が日本で公開されたのが1973年12月だった。本作をさっそく見てきた姉貴が「ほんまブルース・リー最高やったわ」と興奮気味にしゃべっていたのを思い出す。俄然興味がわいた僕も友達と一緒に見に行った。圧倒的なリーのアクションにたちまち虜になってしまった。しかし、スクリーンを縦横無尽に駆けていた彼はすでに5ヶ月も前に亡くなっていたのだった。続いて「ドラゴン危機一発」「ドラゴン怒りの鉄拳」はその翌年に公開。「ドラゴンへの道」は1975年の公開だった。その間、僕は寝ても覚めてもブルース・リーに夢中になっていた。彼に関する書籍は読みあさり、アクションシーンを真似、ダブルヌンチャクをほぼ完全にマスターした。ラジオでは浜村淳が映画の解説のたびに「必殺飛燕一文字五段蹴り、胡蝶肘打ち三段返しアチャー!」と叫んでいた。熱い日々であった。
「考えるな、感じろ!」。この映画で最も有名なブルース・リーの名セリフである。技に気が入らない弟子に向かって諭すセリフだ。物語のほぼ冒頭のシーンだったので驚いた。あれっ、物語の終盤近くで出てくるものと思っていただけに、僕の記憶のあいまいさに自分自身に呆れてしまった。しかし、そのセリフのすぐ後に続く「考えるな、感じろ!それは月を指差すようなものだ。指先を見ていたら栄光はつかめないぞ」というセリフのほうに響くものがあった。ああ奥深いセリフだなと感じた刹那、出身高校の校歌3番に出てくる歌詞「♩思索の彼方に〜さゆる月〜♩」がふいに頭によぎった。仕事で考え事をしていると、ふいに鼻歌となって出てくるくらい好きな歌詞で、「月が見えているか」といつも自分を鼓舞してきた。この映画のセリフがあって、校歌の歌詞に魅かれたのかも知れない。
ここ何年か、出身高校のクラブの指導に行っている。応援団リーダー部である。
新入生が仮入部してくる春からゴールデンウィーク明けまでと、夏の高校野球予選応援に備えての新リーダー部員への技の伝授のためのわずかな期間だ。
僕が在籍していた頃は、(もう45年も前のことだ)年がら年中練習に明け暮れ、上下関係は非常に厳しく、パワハラは当たり前、時には鉄拳が飛んできた。
だが今は違う。上下関係は非常にゆるく、パワハラ厳禁、生徒の自主性を重じた和気藹々の雰囲気で練習している。
それでも男の子はなぜか続かない。ここ数年は部員全員女の子というタカラヅカ状態である。
女の子が、ハイカラーで少しばかり丈の長い学ランを身にまとって、技を繰り出す姿は本当に格好が良いし、さわやかだ。
女性がたくましく強くなったのか、男性に覇気がないのか。
いやいやジェンダーの問題をうんぬんするのではなく、性差を超えてやりたい人が楽しく続けてくれたらそれでいいのだ。
技のパフォーマンスの向上に取り組んでいるうちに、自然と内発的に応援団スピリッツが身についてくる。
クラスメイトへの思いやり、学校に対する愛着、そして何よりも学校元気の中心に自分たちがいるという自覚のめばえ。
1年もすると、非常にりりしく美しく、優しくなった彼女たちがそこにいるのである。
現3年生部員は、この3年間、新型コロナ禍で何も活動できなかった。
「大声を出すな」という一言は応援団の存在を根底から否定する一言だった。どこにも磨いた技を発表する場がなかった。
思い出は作れなかったけれども、しかしきちんとバトンをつないでくれた。
この春、2名の女の子が「応援団、やりたいです」と正式入部に手をあげてくれたのである。
コロナは完全に収束していないが、やっとだ、やっと日常に戻る。彼女たちが夏の野球場で
クラスメイトに向かって「かっとばせ」と叫ぶ姿をやっと目にすることができる。青春を燃やせ。たぎらせろ。フレー、フレー。
今やすっかり身近になった映像。本を読むように、いつでもどこでも映像に触れることができるし、動画や映像での記録や伝達が以前にも増して重視されるようになりました。わずか数年のことで誰もが映像を作れるようになるなんて、本当に驚きです。
Youtubeが広がり始めて、Tictokがまだこの世になかった2015年に、私は一件の相談を受けました。
「私がイメージしているビジョンや志を映像化したい」
この頃の当社で取り組んでいた映像はまだ、広告代理店や映像会社さんと巨額な予算で周年映像を作るのが主流で、実験的にパソコンで作った映像をCM化してもらったりしたことはあっても、映像そのものが特別な「規格」に乗せないと配信できないものだったのです。それがYoutubeの登場で誰でも配信しやすくなったわけです。画期的な変化で、いずれ一般からビジネスユースに変化するのも時間の問題でした。
相談してくださった経営者さんとは、漫画で経営理念を社員やパートさんに伝えるシリーズを展開させていただいてました。理念漫画シリーズは得意分野で、上場会社の社内報でシリーズ化して賞をとったのを皮切りに、理念やビジョンの漫画を展開していました。そんなことを伝えてもいないのに、この経営者さんは「漫画で理念を伝えられるかな」と依頼されてこられたのですが、今回はそれを映像化するというご相談に、最初は戸惑いました。まず巨額な、どころか予算がほとんど無い。そして世の中は、映像の大衆化の黎明期。これは自分で作る以外にない。そんなところから、自社で作る映像をまだ早い時期に切り開いていただくきっかけになったのですが、あくまでも「志」の映像であるというところが、一歩を踏み出させてくれたのだと思っています。
今では「パーパス」という逆輸入用語で重視されるようになりましたが、私が雑誌から企業パブリシティの編集者になって以来、「志」は仕事の真ん中にありました。「志」を共にし、形にすることが、仕事のミッションの根底であり、機根でもあるといえます。
なぜ「志」が大切なのか。簡単に言ってしまえば、それが「生きる」ということだと思うからです。
現代の人は外発的な理由で行動しがちです。お腹が空いたからとか、手が勝手に動いてとか、昔の人は自分の身体や心が欲することで何かを生み出していたのだと思うのですが、今、私たちの身の回りには常に新しい情報や製品やサービスがたくさんあって、試してみたい、行ってみたい、使ってみたいと思うことがたくさんあります。好奇心は大事だし、どんどん「してみたい」はやるべきだし、たくさんの経験や知識を得ることができる私たちは昔の人よりもはるかにたくさんの情報を持ち、経験もできる幸せに恵まれています。でも、今、私たちは昔の人以上に何かを生み出しているでしょうか。何かを経験してみて「違うな」と思っても、また怒涛のような「NEW」に出会って、自分で生み出さなくても、与えられることを探すだけで時間制限いっぱい。外発的なコト・モノ探しで満たされようとずっと動き続けて、働き続けて、気がつけば人が作ったものを消費するだけの一生を過ごしてしまうかもしれません。
人が生きることとは、想像することであり、創造することにあるんじゃないかと私は思っています。ここをちょっと綺麗にしたい、そこを少し楽しくしたい、こういうふうに工夫すれば喜んでもらえるかも、気持ちいいかも、そんな内発的に想像し、創造できる小さなことが大切で、そういうことができる人が、あそこに街をつくれば、ここに道があれば、と大きなことまで想像し、創造できるようになって企業というものに集まっているのだと思います。
だから、「志」を真ん中にしない仕事は、誰にとってもありえないことだし、無意識にしているかもしれない、言葉にできていないかもしれない、そのことを気づきあい、共有しあっていきたいと思っているのです。
RESPONSIBILITYという言葉は、日本語で「責任」と訳されます。この言葉はRESPONSIVE(応答)が語源です。志というのは、人と人の霊機・応機というはたらきあいであり、応答が大切だと思っています。志が絵に書いた餅ではなく、心の奥底から出てきたものならばそこには言霊というような霊が宿っていて、言葉を超えて人の心を揺さぶり、揺さぶられた人がまた応じて機(はたらき)を行う。そういう志の輪が広がり、みんなが霊レベルで、良心で動いていることを映像にしていき、世の中に応答の和を広げていきたいという思いを込めて名付けました。RESPONSIBLE MOVIEのイメージ写真につがいの鶴を使っているのは、鶴の声が「美しい声」の代表であると同時に、つがいの鶴が「和」をあらわしているからです。鶴は、日本の国鳥にもなっているのですから、日本人が率先して鶴の声を発し、大和魂(こころ)という大きな和を広げて、世界にも必ずおられる霊にも発していただいて響き合っていきたいと思っています。
このプロジェクトは、2019年に大阪で開かれたG20を契機に、国レベルの応答を企業レベル、人間レベルの応答にしていきたいとスタートしました。翌年には新型コロナウイルスのパンデミックにより、活動を進めることが難しくなりました。しかし、ウイルスが世界に広まっているなかで、皆の志の事業や行動も退縮を余儀なくされてしまいました。このプロジェクトは、一時だけのプロジェクトではなく、永続し、世の中の良心を開き続けるインフラになりたいと思っています。私たちのプロジェクトから、多くのクリエイターたち、学生たちのプロジェクトへとなんとか広げていく方法を模索し続けながら、RESPONSIBLE MOVIEを送り出していきたいと思います。ご賛同いただけましたら、お気軽にお問い合わせ、ご連絡いただければ幸いです。
https://video-production.cmsgale.com/
なぜメディアを作るのか
「メディアとは人間の拡張だ」と語ったのは社会学者のマクルーハン。これは大前提として、彼が「メディアはメッセージだ」という有名な言葉を語ったことを抜きにしては成り立たない。
“人間の拡張”を機能面で捉えたのが、機械技術や眼鏡や入れ歯、そしてAI。どんどん人間の機能は、人間が作り出す道具によって拡張され続けている。人間に変わって機械やAIが動いてくれるなら、人間は何をすればいいのだろうか。何のために生きるのか、幸福とは何か、そういうことがここ数年で目に見えるように身近な話題になってきたのが感じられてならない。
私たちの会社では、眼鏡や機械は作れない。そのかわりに、メディアを作っている。企業や自治体、いろいろな団体が発信・発行・配信するメディアをつくる技術者だ。原稿を書く技術、取材をする技術、デザインをする技術、それらを企画し、オーガナイズする技術を経験と訓練で身につけている。けれど「なぜそれを発行するのか」という大義名分を、私たち自身が持っているわけではない。だから、「こういうものを発信したい」と言われたら、「なぜ」を問うところから始まる。大義名分の共有、つまり、志を共有したいのだ。
「なぜ」の応答はスムーズではない。「こういうものをみんな発行しているから」と言われても、それは答えになっていないと私たちは考える。だって志が知りたいのだから。まあ、このあたりをいろいろ深掘りするのはまたにして、いずれにせよ、目の前の人が「やりたい!」とワクワクしている状態にしたいなと私はまず思うのだ。「それはすごい!」「絶対やるべき!」「面白いことになる!」そんな扉を少しでもあけられれば、それはメディアになると思っている。つまりメディアは「人間の意志の拡張」であり、メディアを作ると言うことは、発信者の「意志」を顕在化させるということなのだと思う。だからマクルーハンは、メッセージだと言ったのだろう。
若手のパワーで会社を変えたい
今回は、その「意志」を育むことを明確に含めての周年事業のご依頼だった。いやむしろ、メディアを「作る」のは目的ではなく、作るものは周年誌でも映像でも何でもいいので、「若手社員の成長」をお願いしたいという与件であった。社長から送られてきた熱いメッセージを見ながら、私は胸が熱くなった。会社の周年という大事な節目を若手に任せるという腹の据えよう、若手の打合せに口出ししないという決意、彼らが自由になるにはどうすればいいかを痛いほど考えておられる。その痛みは昨日今日のものではなく、ご自身に向けられた痛みでもある。責任重大だ。
我々が何に取り組むべきなのかを考えた。メディアを作るのではなく、メディアの元になる人をつくれといえばわかりやすい。ただ、人はつくるものではなくて、みつけるものだというのが私の信条だ。絶対性善説。インタビューを重視するのもそうした理由からだ。みつけられるかどうかを自分たちに課している。発明の前に発見あり。創造の前に想像ありだ。若手社員が何をしたいのか、どんな問題意識や情動を持っているのか、自分でも気づいていないそうしたことを一緒に発見して教材化し、何らかの行動をしようということになる。それはまさに、これまで当社がメディアを作る前に、一生懸命問答し、応答いただき、共有せんとしていたことであり、恐ろしくど真ん中の依頼が来たということになるのだが、自分たち自身にこれまでとは真逆の思考が必要になるとまでは、最初は気が付きもしなかった。
自覚から実践へ
インタビュー手法でのコンサルテーションに始まった頃は、自分たちの意見を言っていいのかどうかという戸惑いが感じられた。それが徐々に開かれてくると、今度は自分が帰属する組織、つまり会社への不満が立ち上がる。不満は問題意識だ。しかし、そこからなかなか広がらない。現状への課題解決が目的化していく。ここで再度自分に立ち戻り、今度は内なる自分の強さ、内なる自分が持つ自由をと思うが、なかなかそうは問屋が卸さない。現場最前線の彼らは、日々、さまざまな課題に立ち向かっている最中だ。それぞれの立場も職種も異なる。しかし、プロジェクトには周年記念日という期限がある。悲喜交々、辛い時期もあったと思うが、半年以上を対話に費やし、小さな制作プロジェクトを段階的に挟みながら、彼らと全社員の間をつなぎ、彼らのチーム感をどうやって見守るかと試行錯誤した。私としては拙速になってしまったこともあるし、十分に深ぼれなかったところもある。一人ひとりの強弱をリーダー役の子が背負い過ぎてはいまいかとも危惧した。しかし、プロジェクトも終盤に近づくにつれ、彼らの成長をひしひしと感じるようになっていった。問題も課題も自覚され、どうしたいかという自分への自覚もはっきりしている。変化した彼らがいた。このプロジェクトの本当の成果は、もしかしたら5年後、10年後に出るかもしれない。自覚から実践へ、のサイは投げられたと思った。そんな自分を忘れないでいてほしい。
1年以上のプロジェクトではあったけれど、最後に周年記念誌を仕上げたことで、自分たちが「つくる」ことへのプロ意識を持っていることをあらためて自覚した。このプロ意識。今回はやや邪魔になった。かっこいいものになれば誰しも嬉しいが、彼ら自身がつくった、という実感が大切だ。どこまで手を入れるか、どこまで時間を預け、どこから引き受ければ間に合うのか、まさに、頭の中を180度入れ替えるような思考が必要になった。
すべてのプロセスが成長発展の機会
原稿作りにしてもデザインにしても、時間は貴重だ。限られた時間のなかで生命をかけてギリギリまで考え、粘りたい。ただし、短時間で一定の成果を出す訓練は出来ている。目についたところについて「直したい」という気持ちが、誰かのためになるのか、本来の目的である「みんなの成長」のために必要なのかを、問うという一瞬の「間」が生まれているのを現場に感じた。クライアントの意見を聞きながら作るのではなく、導きながら作る。その結果出来上がるものは、共働の賜物になる。塩梅の難しさと思考の転換、クリエイターのエゴとクリエイターならではの利点。いろいろな「間」を覗き込み、悶々としながらも、なんだか楽しいのは、クライアントもクリエイターも「主体」であり続けることを大事にしたからかもしれない。
周年誌が完成した時、私たちは安堵し、受け取った若手社員から速攻で電話が入った。「ありがとうございます!」。電話の向こうで何度も繰り返され、普段おとなしいリーダー役の社員さんが、言葉を尽くして感動を伝えようとしてくれている。社長からも彼らの成長への実感と謝辞が寄せられた。もちろん、私たちだけのチカラではない。ただ、何かを一緒に創造しようとするのが、主体性を引き出す最大の機会になることだけは間違い無い。
「もっといろいろ考えていきたい」と言ったのは担当したアートディレクター。彼が考えていきたいのは、クリエイティブの質にとどまらず、人間の質、本質をいかに引き出すかを考えていきたいということに他ならず。まだまだやれることがあると、すでに気づいていることを示唆していると思った。
2019年1月から『メーカー、小売店、ユーザーと共に“イノベーションを生み出す展示会”』をコンセプトに始まった、スポーツイノベーション交流会&展示会の「SIMEx展示会」が、2023年1月に東京と大阪の2会場で開催されます。
大手メーカーの展示会とは一味違う。作り手の熱い思いが伝わるイベントです!
詳しくは下記のURLからご確認ください。
SIMExでは、いつでも気軽にアクセスできる「コンセプトショップ大阪」で常設展示会場を設けています。
不定期でイベントも開催さてるので、気に方はこちらも是非!
自転車を最初に考えた人はノーベル賞に匹敵するくらいの人類にとっての大発明ではないかと思います。
このブログを書いている現在は12月に入り、自転車で風を切るにはいささかつらい時期にはなってきました。
因みに日本の自転車所有率は2016年時で国民の2人に1台だったらしくそこからも年々増加しているとのこと。
しかし日本における自転車道路事情は欧米諸国に比べてまだまだ遅れているようで、特に東京や大阪といった大都会では
お世辞にも自転車で走行するに快適とは言い難い道路状況のようです。
そんな日本の自転車と道の風景を春夏秋冬延々と動画で見れる動画カレンダーを作れないものか、いや作ってみたいとふと、
思い立ちました。
YOUTUBEなどでは既に動画としてUPされたりしていますが、それを1年365日ごとに更新していく言わばカレンダー方式
でUPしていく。
尚且つ47都道府県の自転車走行中の道路動画を繋ぎ流していきたい。
単純に1年365日を47都道府県で割ると、1県あたり7~8日分、その期間その都道府県内の自転車走行中動画を投稿して
もらい流していくというものです。
もちろんその都道府県であることが分かるようにMAPの位置情報によるチェックの上でですが。
自転車のハンドルにスマホ等を取り付けひたすら道を走っているリアル動画をオムニバスに流していきます。
〇月〇日~〇日までは◇▢県の走行動画募集という告知を事前に行い、47都道府県の動画を順次流していきます。
ふと思っただけなので全くザックリした内容ですが、もっと面白く出来ないかとこれから考えていこうと思います。
お寺ってどんなところ?
お墓詣りや年に数回お坊さんがお経を
詠んでくれるところ?
ではそれ以外に知ってるお寺の知識は?
ほとんどの人が持っているお寺の認識は
これに近いのではないでしょうか。
お寺は元来、人生においてのいろいろな悩みや相談事を
するための地域の相談所でもあったはずです。
「駆け込み寺」という言葉があるように、その地域に住む人々の
心の拠り所であり、それゆえに人生を終えてからの場所ではなく
生きている間にこそ必要な場所、それが本来のお寺の姿と考えます。
もっとお寺の存在を本来の身近な存在に戻したい。
それは宗教や宗派の違いを超えた日本人の護りたい文化の一つでも
あるように思います。
仏教徒では無い、お墓は要らない、敷居が高そうで近寄りづらい・・・お寺に関心を
持たない理由はこういった様々な理由があるでしょう。
特に若い世代の方々はなおさらです。
でも、生きるのがつらい、人間関係に苦しんでいる、社会に適応できない・・・
こういった悩みは宗教や信仰の違いに関係なく誰しもが抱えがちな悩み、苦悩
であるはず。
こういった人々の生きる上での苦悩に寄り添える存在にお寺がもっとなって、常に人が集まる
場所になることで地域の文化としてのお寺の存在意義が存続されるのではないでしょうか。
その為に私たちが考えるプロジェクトが「お寺と地域の活性化プロジェクト」です。
<例えば>
①地域の高齢者の方々と子供たちとで精進料理を作る料理教室を催し、ご住職の食物への
感謝を題材にしたお話を絡めながら交流を深めていきます。
②お寺の1日の活動を体験してもらう「1日お寺体験」を実施。本堂や仏像等のお掃除、住職と一緒に勤行(ごんぎょう)を体験、
精進料理の体験などお寺の日々の動きを体験していただきより身近にお寺を感じてもらいます。
③文楽や能といった伝統芸能やジャズ演奏、クラシック演奏などを地域のお寺で催し音楽とお寺の空間との調和を
感じていただきます。
等々、まだまだお寺と地域が寄り添える方法は有ります。
日本におけるお寺の存在は、単なる宗教施設ではなく地域に溶け込んだ文化施設でもあります。
この日本人にとっての地域文化を残したい、それが私たちゲイルの思いです。