PICNIC RUG(ピクニックラグ)
なぜ日本人はブログが好きなのか
- 2008/08/23 10:39
- 投稿者: takebayashi カテゴリ:BLOG
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国内のブログ総数は1690万。全世界のブログの37%が日本語で書かれていて、世界一の座を英語ブログ(36%)と争っている。言語人口比では圧倒的に少ないにも関わらず、なぜ日本人はこれほどまでにブログを書くのだろうか。
異常に多い日本のブログ
英語人口と日本語人口を比べれば、ざっと10倍ぐらいの差はあるはずだ。この人口差を前提にいれれば、日本人が世界の中でもいかに突出したブログ好きかがわかるだろう。かくいう私もせっせとほぼ毎日、こうしてブログを書いているわけだけれど、さて。なんで、みんな、毎日こまめにブログを書くのでしょうか?
思い返せば、ブログが流行る前にはメルマガがあり、これがやはり日本独自のネット文化だといわれていた。確かにそうだと思う。メルマガ隆盛に関しては『まぐまぐ』さんの功績大ということだろう。ネット上で比較的簡単に自分の言いたいことを発信できるシステムを作ってくれたのが『まぐまぐ』さんである。これは便利だとばかりに飛びついた人が多かったはずだ。
しかし『まぐまぐ』はすこしばかり敷居が高いところもあった。初期には自分のホームページがないとダメだとか、メール配信のシステムにしてもちょっと(ほんのちょっとだと思うけれど)面倒な作業が必要だったりした。だから、たぶん「オレもメルマガ発行して、言いたいことがあるんだけどなあ」って人(潜在ユーザーってことですね)はたくさんいたんだろうけれど、「でも、メルマガはちょっと難しいしからね」ってところで止まっていた人が、ブログができてど〜っとこちらになだれ込んできた(潜在ユーザーの顕在化ですな)ということじゃないだろうか。
mixiの力
その過程ではmixiの力もブログをバックアップしたように思う。そもそも、私のブログ自体も最初はmixiに日記を書き始めたことがキッカケとなっている。mixiにちょろっと書いてみて、ちょっと書きづらいなとか思ったために、そうそうブログってのがあったなと思いついて始めたのがもう、2年以上前のことになる。
私の場合はそもそも原稿を書くことがメインの仕事でもあるので、その練習のためにといった意味合いもあってできるだけ毎日、テーマを決めて書くことを自分のノルマとしてきた。しかし、そういう人はレアケースだと思う。すると日本人はなぜか知らないけれどブログが好きということで話が終わってしまう。
それではおもしろくないので、無理矢理日本人がブログ好きな理由をひねり出してみた。
ルーツは『土佐日記』
話は思いっきりワープする。今から1100年ぐらい昔、紀貫之という歌人がいた。彼が書いたのが「おとこもすなる日記というものを、おんなもしてみんとてするなり」で始まる『土佐日記』である。
『土佐日記』は日本文学史上初の日記文学として知られる。そして日記文学に注目してみると、日本には実に豊かな伝統があることがわかる。有名どころだけで『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『更級日記』に『紫式部日記』。日記とは少し毛色が違うけれども『徒然草』や『方丈記』だって日記に近い文学といってもいいだろう。日本人は平安時代の昔から、日々自分が思いついた由なしごとを思うがままに書き出す文学的伝統があったわけだ。
これに対して欧米ではどうだったか。wikipediaによれば日記文学としては『ガリア戦記』があるぐらいで、日本のような日記文学隆盛はなかったようだ。エッセイに近いものはあるが、それにしても相当に思索的であったり哲学的であったりして、要するに小難しいのである。もしかするとここに欧米と日本のブログ文化の違いがあるのではないだろうか。
日記文化とエッセイ文化
すなわち日本のブログは日記的なものが多い。あるいはエッセイというか、さらにはもっと個人的な思いつきと言うか、感想みたいなものをつらつらと書き連ねて、それを公表することに何のためらいもない。これは『土佐日記』に連なる日本の一種の伝統である。
ところが欧米ではそうはいかない。彼らにとっては、何かを書いて公表することに対する心理的な敷居が、おそらくは結構高いのだ。なぜなら欧米人にとって「書くこと」はすなわち、古のギリシア時代から「考えること」と同義であったはずだ。自分が主張したいことがまず確固としてあり、そのための根拠を揃え、きちんと推論を組立てたテキストこそが書かれる価値のある文章だと。そんな意識がどこかに残っているのだと思う。
書くことについてのそうしたある意味面倒臭さを伴う意識付けが欧米では伝統的に受け継がれ、だからこそ現代の学校教育でも「論理的に」書くための作文教育がしっかりと行われていたりする。
これに対して日本では「書くこと」をきちんと教育される機会はあまりない。しかも日々の気持ちの動きや日常の由なしごとを書き散らかして善しとする日記文学の伝統を持つのである。日本人は「書くこと」と「書いたものを公表すること」に対する心理的ハードルが極めて低いのではないだろうか。
むしろ、思ったことや気になること、自分が考えついたことは何でもどんどん発表しなさいと奨める気風さえある。というところが日本が世界に冠たるブログ大国になった理由ではないかと考えてみた。