お世話になった方々を偲ぶ

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今日、お世話になっている
整体の先生の奥さんからお電話があり、
昨日、先生がお亡くなりになられたということでした。
佐々木隆行さんとおっしゃるのですが、
本当にわたしの良き理解者でいてくださりました。
心より感謝とご冥福をお祈りいたします。
自分の理解者とは、本当の同志だと思います。
佐々木先生とは、治療の60分間、
本当にいろいろなことを話し合いさせていただきました。
いつも帰りに
「この人は本当の同志なんだなあ」
と勇気づけられたのが、今となっては忘れられません。

自分の理解者を失う悲しみというのは、
言葉にできない悲しみです。

今日、佐々木先生を偲んで、
今までお世話になった方々を思い出していました。
まず、人生最初のお葬式は、父方の祖父でした。
離れて住んでいたこともあり、
また親族の初めての別れでもあり、
実感が全然わきませんでした。
不思議とまた会えるような気がしていました。
それから、父方の祖母が亡くなりました。

中学3年生のときの担任が田中良太郎先生という
どこかの校長をしていた先生でした。
みんなの人気者で、
「成人したら再会して、お酒でも飲みたい」
とみんなで言っていました。
その先生がぼくの高校の在学中に亡くなられました。

浪人のとき、いつもたまり場にしていた
寮の近くの喫茶店「らんぷ亭」のマスター。
ぼくが大学に合格したときには喜んでくださり、
自転車で二人乗りして、焼肉をごちそうしてくれました。
よそよそしくなるので、名前も聞かないまま、
いつも「らんぷ亭のマスター」と呼んでいました。
亡くなられた今も名前はわかりません。

熊本大学に9年間もいて、ぼくが卒業できたのは、
濟木弘行教授との出会いのおかげです。
ぼくが9年目に濟木先生の研究室に決まったとき、
「君の顔はもう見飽きた」
と笑ってられました。
あの頃は、もうひねくれてしまっていて、
本当にご迷惑ばかりお掛けしていたのですが、
仏のご慈悲で(笑)なんとか卒業させていただきました。
今日のぼくがあるのは、
本当に濟木先生のご慈悲のおかげです。
昨年は濟木先生の7回忌が妙心寺であり、
関西にいるご縁で、法要にも参列させていただきました。

そして、ぼくの最大の喪失、
未だに埋められない心の穴は母方の祖父母の死です。
ぼくの最大の理解者であり、支援者でもありました。
いつでも期待することをやめず、
どんなときでも味方であり、理解しようとしてくれました。

今でも母方の祖父母を失った心の隙間は埋まりません。
孤独なとき、悲しいとき、途方にくれたとき、
どれほど、祖父母の存在を大きく感じ、
また必要としていることか。
それで、ぼくは毎月お墓参りに行きます。
たまには、いい報告もします。

振り返ると、今まで多くの理解者に支えられ、
今日こうして生きているのだなと思い直しました。
お世話になった方々の遺志は受け継ぎ、
また自分を理解してくれる同志は
本当に大切にしていかなければならないと思いました。

佐々木隆行先生を含め、
お世話になった方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

2011年11月8日 樋原明徳