■□ 考えるスピードを上げる ■□ 2009年3月号(2009年2月27日発行)

世の中、仕事ができる人とできない人の違いを述べた文章や講演がたくさんあります。それだけ皆、仕事ができるようになりたいと思っているということでしょう。こうした文章や講演によると、仕事ができる人というのは総じて、目的に照らし合わせて、やるべきこととやる必要のないことの区別が上手いようです。また、各業務についての締め切り意識が明確なので、各々の締め切りに向けて複数のやるべきことの優先順位付が的確で、多くの業務をこなしているのに、結構暇そうに見えるようです。そのため、仕事のできる人は精神的に余裕があり、他人が近寄りやすいので、自然と情報と信望が集まり、リーダーとして期待されることとなる。その代わりに細かいことは周囲が進んでやってくれるようになる(これを他人に仕事を任せるのが上手いともいうようです。)ので、当の本人は益々時間に余裕ができ、全体がよく見えるようになるので、適度の対人ケアと適切な意思決定や行動をとることが可能になる。まあ、大体「仕事ができる」とはこんなところのようです。

しかし、ここまで理屈でわかったところで、では今、もっと仕事ができるようになるためにはどうしたらよいか、という問題になると、そう簡単に改善策は見つかりません。それは、「仕事ができる」ための一連の流れが、「目的に照らし合わせてやるべきこととやる必要のないことの区別が上手い」という前提からスタートしているからです。この必要と不必要の識別能力というのはセンスの問題です。スキルの問題ではありません。スキルの問題であれば勉強によって磨き、向上させることも可能ですが、センスの問題はそうはいかないのです。センスを磨き上げることができるのは良質の経験を通してのみです。良質の経験とは、どこが見えていたから何が上手くいったのか、また、どこを見落としていたから何が上手く行かなかったのかが明白で、次の機会に活かしやすい経験です。子供のうちならいざ知らず、大人になるとそのような単純な経験はまずできませんし、また、成功・失敗の原因を感じ取ることにもセンスが必要であり、努力ではなかなか解決しないのです。
 必要か不必要かを見極める力はセンスですから、それをじっくりと考えたところであまり多くは生まれません。ここは、大筋、直感で判断するしかない。むしろ、鍵となるのは、必要だと感じたことを、本当にやるかどうかでしょう。これも非常に難しいのですが、こちらは多少努力で伸びる余地はあるように思います。

ここで、ちょっと私の趣味の話をさせていただきます。私は、今時全然はやらない麻雀というゲームが好きで、もう30年近くやっています。麻雀を知らない方には、しばし何を言っているのかおわかりにならないと思われる話となってしまいますが、雰囲気だけでも感じていただければ…と思います。麻雀というゲームでは、初心者はまず自分の手役を作ることから入ります。この段階でのやるべきことは、与えられた自分の手牌から作るべき役を目標として定め、以降、手牌とツモってきた牌の中からその目標達成に向けて最も不必要と思われるもの捨てて行くという作業です。この作業を面白いと思わない人は、早々に麻雀をやらなくなりますし、また、いつまでもこれ以外にやるべきことを見出せない人は、負け続けて、やがて麻雀から遠ざかります。ただ稀に、この段階で止まっているにも拘わらず、何が面白いのかいつまでも負け続けている不思議な人もいることはいますが、多くの場合、麻雀を続ける人はこの段階はすぐに卒業し、次の段階に入ります。第2段階では、他の3人のプレーヤーの状況及びその総合としての全体の状況(場といいます)を考慮して、自らのとるべき道を決めるということが必要となります。ここに面白みを感じてしまうと、なかなか麻雀から抜け出せなくなります。

この段階にくると、やるべきことが増えて以下のようになります。

①場の状況に合わせ、最も適切な手役をつくる。
②場の状況に合わせ、適切な安全性を自らの
  手牌の中に確保しておく。
③他のプレーヤーの捨牌、しぐさ、空気感等
  から、相手の手牌の中身を推測する。
④場の状況に合わせ、他のプレーヤーと勝負
  に行くタイミングをはかる。


これらのうち①②③はスキルであり、勉強によりかなり向上できます。麻雀を長くやっている人達は、上述した一部の不思議な人達を除き、ここはできると考えてまず間違いありません。一方、④はセンスの問題です。ある状況下において、勝負に行く必要があるのか否かの判断力は勉強したところで高まりません。ここはもう、自分の持って生まれた、あるいはせいぜい幼少期に培った‘器’にかけるしかないのです。そして、ここで必要と感じたことが本当にできるか、つまり勝負する必要があると感じたときに本当にリスクをとって勝負できるかは、勇気の問題であり、勇気を向上させるというのは、これまた方法論の見出し難い永遠の課題です。

しかし実は、麻雀にはもう一つやるべきことがあります。それは、場の状況に合わせ、他のプレーヤーの捨牌を哭く(なく) ということです。この哭くか否かの判断もかなりセンスに関わる問題で難しいのですが、それでも、勝負するか否かの判断に比べれば容易です。なぜならば、哭くことのメリットとデメリットははっきりしており、哭く必要のある場合がかなり定型化できるからです。早い話が、哭くことによるメリットはスピードが早いというだけであり、あとは手役の点数を著しく減少させる、手の内を晒すことで相手に読まれやすくなる、そして何よりも、手牌の数を減らすことで、著しく安全性が損なわれるというデメリットしかありません。従って、哭く必要があるのは、基本的に以下の2つの条件が整った場合に限られるのです。

 ◆他のプレーヤーの上がりを阻止したい、若しくは、現状ゲームをリードして
   おり、早く終わらせたい。
 ◆場の状況から判断し、哭くことにより、早くかつ確実に上がり切る目算が
   たっている。

この判断も微妙なところは多々あり、一筋縄ではいきません。しかし、④の勝負にいくかいかないかの判断に比べればはるかに、今が哭く時と明確に感じることは多いものです。しかし、その時に身体が動かなくなってしまうことがあるのです。必要だとはわかっていても身体が動かない。瞬時の判断を求められる中で、正しいとはわかっていても、身体が動かないということはよくあるのです。そして、哭くべき牌を哭けずに場が進行してしまう。こうなってしまうと、この過ちはもう取り戻せません。その後のゲームはボロボロになる運命にあります。

このミスを防ぐ方法は、ミスをしないように注意していることではありません。注意していればいるほど、いざというときに身体は動かないのです。意外かもしれませんが、このミスを防ぐ有効な方法は、他の要素である①②③④における思考スピードを上げることなのです。①②③はスキルです。考えるプロセスは決まっているのです。だから、早く考えるようにする。また、④はセンスであり、器です。考えても仕方がないのだから、とっとと決断する。これをやっていると、頭と身体にリズムがついてきます。このリズムに乗っていれば、哭くべき牌が出た時には、自然と大きな声で「ポン」「チー」と叫ぶことができるのです。

麻雀が強い人が仕事もできるという相関関係はおそらくないと思います。感覚的にはむしろ、雀荘に集う人達を見ていると、この人多分、職場では問題があるんだろうなあと感じさせる人が多いような気がします。しかし、やるべきことは細心の注意を払ってやるのではなく、リズムに乗ってやるべし。リズムがなければ、やるべき時に身体が動かなくなると心得るべし。リズムに乗るためには、決まったプロセスにおける思考スピードを上げる一方、考えてもわからないことを考えずにさっさと決断すべし。私が、麻雀から学んだこの教訓が、もし、少しでも皆様のお役に立つようなことがあれば、幸いです。

代表執行役CEO  奥野 政樹