2012年の日本、絶対確実な未来をマーケティングする

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一寸先は闇。将来のことについてなど、誰一人として確かな予言はできはしない、というが本当だろうか。例えばサブプライム問題である。アメリカ発の金融危機が日本を襲うことは、少なくとも2年前には確定した未来だったという。
サブプライム問題に日本があわて始めた時期は?

「サブプライム問題」という言葉を新聞でよく見かけるようになったのは、一体いつ頃からだっただろうか。まったくのうろ覚えではあるけれども、去年の春ぐらいだったように思う。もっとも経済問題に関心がある方、あるいは海外への投資を行っている方たちと筆者の問題意識はまったくレベルが異なるので、とんでもない思い違いをしている可能性もある。
とはいえ、多くの日本人にとっては「サブプライム問題」といわれても、去年の9月ぐらいまではまったくピンと来なかったんじゃないだろうか。ところがリーマン・ブラザースが潰されると、一気に景気悪化の津波が日本にも押し寄せてきた。その少し前ぐらいにはトヨタが過去最高の利益とぶち上げていたにもかかわらず、その後の半年でつるべ落としのように赤字転落、さらには赤字幅の急速な増大へと沈んでいく。
ただ天下太平の日本では、去年の春先ぐらいまではまだまら戦後最長の好景気などというのんきな話もあったはずだ。


確かな情報があれば未来は読める

私事で恐縮だが、今年の2月に高校の同窓生が集まる機会があった。筆者が本を出したお祝いをしてくれたのだ。その席に海外にいくつも工場を持つ経営者も来てくれた。そこで彼に話を聞いてぶったまげた。
彼は遅くとも2年前(=2007年、アメリカでサブプライム問題が深刻化した時期だ)には、アメリカの子会社を通じて情報を掴んでいたという。そして、いち早く去年の秋以降に現実に起こった事態をほぼ正確に予測し、それ故に新規採用の絞り込みからさらには減産体制への備えをしていた。
とはいえ2年前時点での受注は順調すぎるぐらいで、いくら増産しても追い付かないぐらいの景気である。現場からは一人でも多く作業スタッフを入れてほしいといわれながらも、頑として首を縦に振らなかったそうだ。おかげで、日本企業の多くが去年秋以降に極端な雇用削減に走る頃、彼のところはすでに減産体制ができていた。
もっとも、その彼にしても、まさかトヨタが生産量を半分にまで落とすとは読めなかったらしい。しかし、である。日本に本拠を構える彼でもそれぐらいの情報は早くから手にしていたのだから、震源地アメリカで金融情報を深く速く入手できるポジションにいた人たち中には、それなりの手を打っていた人もいたはずだ。


2012年がターニングポイントになる可能性

経済状況を正確に読みきることは、いくら深い情報を持っていたとしても至難の業である。ところが、ほぼ確定した未来像をいち早く得られるジャンルもある。年齢別の人口分布である。
いま40歳の人は10年後には50歳になっている。当たり前の話だ。ということは、10年後の50歳人口はほぼ確実な値を推測できるはずだ(もしかして、新型インフルエンザが発生し、この年代の人たちに集中的な被害を及ぼす、なんて事態もあり得るといえばそうではあるが)。
言うまでもなく日本の将来にとって最大の問題は「少子高齢化」の進行が加速することだろう。歴史に学ぶなら、少なくとも人口が減って栄えた国は過去、一つもなかった。もっとも、この見方に対しては、これからの日本がこれまで同様に繁栄を謳歌する必要はないという見解もあるかもしれない。ともあれ、ここでは少子ではなく、高齢化を問題として考えることにする。
そこでエポックメイクとなるかもしれないキーナンバー「2012」年が浮かび上がってくる。


たとえば2012年、日本の大都市はどうなるか

なぜ2012年なのか。1947年から1949年に生まれた世代、つまり団塊の世代が65歳を迎え始めるのが、この年からだからだ。団塊引退については早ければ2007年あたりから、社会的にインパクトがあるといわれてきた。
しかし、2009年現在、つまり1949年生まれの方たちが60歳を迎える年になっているが、際立った変化を感じることはまだない。ただし、変化は彼らが完全にリタイヤする3年後ぐらいから始まるのではないか。そんな見立てを日経新聞ではしているようだ(日本経済新聞2009年4月17日付け朝刊3面)。
この見方は一理あると思う。実際にはすでに60歳前から団塊世代の方たちは会社勤めから退きつつあるはずだ。だが仮に50代後半で(って自分にとっても、もはや10年後である)引退したとしても、まだまだ元気である。そのライフスタイルが急に変わるわけでもないだろう。
しかし、それから10年近く経つと、肉体面精神面でさまざまな変化が目立ってくるのではないだろうか。そのとき顕在化する問題が、都市に高齢者が多くなることだ。


高齢者を想定対象としていない都市のインフラ

筆者はNPO活動を通じて、東京、大阪、名古屋の地下鉄の駅をつぶさに見ている。各地の交通局など行政サイドの担当者と面談した経験も踏まえるなら、特に大問題となるのはやはり東京だろう。
東京の人口密度は1キロ四方あたり5500人ぐらいで言うまでもなく世界トップクラスである。狭い土地に多くの人を詰め込むためには垂直方向に空間を活用するしかない。従って例えば東京の地下鉄新線はいずれも大深度とならざるを得ないのだ。
もちろん新線は交通バリアフリー法に従い、高齢者にも比較的優しい造りとなっている。しかし、総体的に東京地下鉄のバリアフリー化は残念ながらあまり進んでいない。確か一昨年に国土交通省が発表したバリアフリー完備率データによれば、東京メトロが全国でも最低だったはずだ。東京メトロの駅にはエレベータが極めて少ないのだ。
問題はメトロだけとは限らない。そもそも東京のような大都市は、高齢者の存在をある程度切り捨てることで成立しているのだから、今後、高齢者対応で問題が顕在化する確率は高いだろう。


問題あるところビジネスチャンスがある

ということは、今後、大都市の高齢者を対象とした生活サービスについては、かなり高い確率でビジネスチャンスがあると考えて良いのではないか。たとえばコンビニの店舗を拠点として、高齢者にどんなサービスを提供できるのか、と考えればすでに実施している企業もある。
少子高齢化は問題だ。とここまでは、誰もが口にし、また同意もするところなのだろうが、じゃ、問題があるならビジネスチャンスもあるはずではないかと一歩突っ込んで考える。さらに、その問題はいつ顕在化するのか、あるいはどこで顕在化するのかと、視点をいわば縦横に広げてみるときに、おぼろげに感じるだけだったビジネスチャンスが、より具体的な姿を見せるのではないだろうか。