高松丸亀町商店街の視察会:地域再生の一例を学ぶ

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先日、東大阪商工会議所主催の高松丸亀町商店街 視察会に参加した。
東大阪市民会館前を午前8時に貸切バスで出発。総勢30人。好天に恵まれ有意義な一日であった。

高松市は人口42万人の都市で、都心には2つのデパートと約800の専門店で構成された8つの商店街があり、この丸亀町商店街は位置的に、その中心にある高松のメインストリートである。

この丸亀町商店街は、高松城築城とともに開発された古い商店街であり、400年の歴史を持つ。後年、丸亀城の廃城に際し丸亀の商人がこの地に移りこみ、これに伴い町名が丸亀町と改名されたという。
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そもそも丸亀町商店街の再開発の検討が始まったのは、昭和58年、鹿庭前理事長の発案により「100年後を目指した街づくり」の必要性が叫ばれた時からだという。しかし当時の丸亀町は通行量が休日3.5万人、平日2万人と、まだまだ全盛期とも言える時代であった。なぜこのようなまだ繁栄していた時期に将来の危機を感じたのか?それには青年会を中心にまとめられた次のような答申が影響を与えたという。

①物販に特化し過ぎた丸亀町が今後、100年間、市民の支持を受け続けることは困難である。②物販以外の機能も充実する必要がある。、例えば市民広場、公園、イベントホール、駐車場、休憩施設、公衆トイレ、レストラン等の飲食機能、生鮮市場または食品スーパー、ホームセンター等の生活雑貨店、マンション等の居住施設、交通の利便さ、等の生活空間を設ける必要がある。③モノを買うだけの街から時間消費型の街に作り替えることが必要である。

これらを実現することにより、将来、郊外の巨大SC(ショッピングセンター)などに対して十分競争力を持てるという結論に達し、この答申に基づき昭和59年から街づくり事業を開始した。開始にあたり全国の商店街の失敗例を勉強したという。

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高松丸亀商店街は延長約470m。これをA~G街区に区分し、全体の方針と各街区ごとの街づくりの方針を合意して整備を進めることにし、平成18年、ようやくA街区が竣工したばかりだ。

同商店街再開発の特徴と言えるのは、所有権と使用権の分離だ。地権者の全員による定期借地契約によって所有者の権利を保全するが、適正なゾーニングとテナントミックス(業種構成改善)を行うので、その使用に関しては、地権者であっても現状位置にこだわらず、テナントとしてゾーニングに従ってもらうということだ。これにより商店街の最も大きな障害(ゾーニングとテナントミックス)を取り除くことができたという。

この原則を貫徹するため、更に出店者による共同出資会社設立、第3セクターである街づくり会社による運営受託などの手法を導入している。第3セクターの設立に際しては、他での第3セクター方式の失敗を鑑み、行政の出資は極く僅かで行政からの口出しを封じているのが特徴だ。あくまで民間主導だ。

ところで昭和63年の本四架橋・児島坂出ルート開通を契機として、長い間、社会経済的に無風状態であった四国における流通は、一変した。物流体制を整えた大手流通チェーンによる郊外大型店立地が加速し、当商店街もダメージを受けたが、先行した再開発事業のお蔭で何とか苦境を切り抜けたという。

高松丸亀商店街振興組合の古川理事長が述べられたことは印象的で、これは他の地域にも当てはまることでもあるので次に記しておきたい:

大型SCは強力である。このまま何もせずに街を放置すれば、日本の中都市は、大型SCに地域を荒らされて必ず死んでしまう。それには商店街の皆が、お客様のニーズを捉えて、全てを大型SCの所為にせず、反省もして、自ら立ち上がらなければならない。そして、全ての面で自給自足できる地域づくりを目指し、そこに生まれ暮らしたことを幸せであり、誇りであると感じながら一生を終えることのできるような地域にしたい!

by 八木: http://homepage3.nifty.com/yagikeieioffice/


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高松丸亀町
商店街
A街区

平日であるが
人通りはかなり
あった

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古川理事長
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