京都企業、強さの秘密

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京セラ、オムロン、ローム、日本電産。先端産業のコアパーツとなる電子部品メーカー大手では京セラがトップ、二番手以降にも京都企業がなと連ねる。他にも任天堂やワコールなどユニークな高収益企業が多い。なぜ、京都企業には独特な強さがあるのだろうか。

ヒト=伝統工芸職人と大学生


京都企業をヒト,モノ、カネ、情報で見ていくとその強さの秘密が見えてくる。強いのはヒト、情報そしてカネの三つだ。まずヒトについては、二つの要因が考えられる。一つは伝統工芸の職人や技術者が多くいたこと、もう一つは大学生が多いことだ。


工芸職人の技術が役立ったケースとしてもっとも有名なのが、清水焼の土の配合技術を活用した京セラ。他にも島津製作所や堀場製作所などが京仏壇の技術の恩恵を受けている(具体的には薄膜やメッキなどの微細な表面処理技術に仏壇の加工技術が活かされている)。ビジネスになるアイデアを思いつくことができれば、実用化するための技術を持った人間が京都にはいた。これが伝統の強みである。


また京都市では大学生が人口の約10%を占めている。この比率は全国でもトップだ(ちなみに東京が23区で約6%、大阪に至ってはわずか2%に満たない)。その大学の中でも京大は特に産学連携に積極的なことで知られる。たとえば村田製作所は新事業スタートにあたって京大工学部の協力を得ているし、京大には「京都大学ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー」と呼ばれる起業家の育成支援組織も大学内にある。


実際京大発のベンチャーとしては、早々と上場したドリコム、上場を期待されているゆめみ、上場を目指してはいないが着実に成長している「変な会社」はてながある。いずれもIT系の実力派企業といえるだろう。京都にはアイデアを創りだすヒトがいて、さらにそのアイデアをカタチにできる技術を持ったヒトがいたというわけだ。


京都のモノ、カネ、情報


資源という意味でみれば京都にはモノはない。インフラ面でも港は舞鶴まで行かなければならないし、空港は伊丹か関空か中部である。決して恵まれているとはいえない。あえていうなら新幹線が止まることがせめてもの救いといえるぐらいか。ともかくモノについて京都は恵まれていたとはいえないだろう。


カネについては微妙である。少なくとも今に名だたる京都企業の創業時に行政からのカネは出ていない。なにしろ京都は1950年から78年までの長きに渡って蜷川知事が共産党主導による革新府政を行なってきたのだ。共産主義では資本家は労働者を搾取する存在、すなわち敵に等しいものとして見なされる。その資本家たちが経営する私企業を蜷川知事が応援することはついぞなかった。


しかしカネについてあえて微妙であると書いたのは京都には特有の歴史資産もあるからだ。すなわち京都は歴史が長いだけあってお金を持っている住民が結構いる。彼らは、お上が金を出してくれないなら、自分たちでなんとかしようという気概を持っている。たとえば日本で最初の小学校は京都の上京第二十七番組小学校だが、これは住民たちがお金を出し合って作った学校だ。


同じような例がある。実は日本初のベンチャーキャピタルができたのも京都である。その「京都エンタープライズ・ディベロップメント(KED)」は1972年、オムロン、ワコールに京都銀行など京都経済同友会のメンバーを中心に設立された。売上1兆円が視野に入ってきた日本電産も、過去にKEDからの融資を受けたからこそ今の姿がある。創業直後、資金繰りに詰まった同社はKEDから受けた500万の融資で息を吹き返し、そこから反転〜成長を遂げ日本を代表する企業となったのだ。


実学指向の大学と歴史の知恵


まず考えられるのは京大を中心とする大学が多いことが有利に働いたであろうこと。東大は官僚指向が強いのに対して、京都は研究指向・実学志向である。そこで積み重ねられた厚みのある研究成果は企業にさまざまな恩恵をもたらしたはずである。また千年の都が蓄積してきた歴史の知恵も京都には受け継がれている。


ロームの幹部が商工会議所の集まりで名刺交換したときには「うちは創業400年、おたくは孫みたいなもんですな」とあしらわれたこともあるという。こうした歴史の厚みが無形の情報となって積み重なっていることも想像に難くない。そうした知恵はおそらく企業経営に関する貴重なノウハウとして京都企業に伝えられてきただろう。


とはいえ生粋の京都人は基本的に「いけず」である。だからよそ者に簡単に知恵を授けたりはしない。しかし京都人は根っからの新しもの好きでもある。だから日本で初めて市電が走ったのも、疎水で水力発電が始まったのも京都である。新しくておもしろいもの、役に立ちそうなことを素直に受け入れるだけの度量は持っている。


これはあくまでも推測だけれど、鹿児島出身の稲盛氏(京セラ創業)や熊本出身の立石氏(オムロン創業)、東京出身の佐藤氏(ローム創業)などのよそ者に対しても京都の老かいな知恵者達は最初、いけずな目を注いだのではないだろうか。「若造が、いったいどれほどのことをしやるやろ」と冷静に観察していたはずだ。その厳しい目を経て彼らが本物であると認めたときに、京都の旦那衆は有形無形の支援をしたのではないだろうか。


都落ちを嫌う京都企業


以上が京都企業の強さの秘密である。ただし残念なことにこうした秘密のいくつかはすでに過去のものとなりつつある。たとえば工芸職人の技術については、いま生きている職人さんの世代で絶えてしまう危機にさらされているものが多い。


かろうじて大学は健在だ。しかし最近の京大発ベンチャーは東京指向が強いようだ。戦後間もなくの創業組はすでに大企業となっており、それに続くベンチャーが今のところ京都にはない。今後の京都には黄信号が灯っているのかもしれない。


しかし変な会社「はてな」は京都に戻ってきた。あるいは大阪企業のようにいつの間にか、本社機能を東京へ移転してしまったなどという企業も少ない。京都人としては「都落ち」は論外なのだ。それに京都企業で強いところにはメーカーが多い。意外な分野での京都発のメーカーが近いうちに登場することを期待したい。