大阪府の文化を維持しよう

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我々は常日頃、文化的なものに接しているから、文化のありがたさというものにはあまり気づかないでいると思う。しかし一旦、今まであった文化がなくなってしまえば、何か殺伐とした気分になり元気がなくなってしまうと思われる。

そもそも文化とは何か? 
あまり難しく考えないでおこう! 作家・司馬遼太郎さんが、その著「風塵抄」の中で次のように述べている内容がわかりやすい。

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「狭義の文化は・・・・簡単にいえば、習慣・慣習のことである。
 外から家に帰ってくると、ほっとする。家は、自分がつくりあげた、自分だけの文化である。胎児が子宮にいるように、サナギがマユにくるまれているように、心を落ち着かせる。

一民族やその社会で共有される文化を、仮に狭義の文化とする。
 私どもが外国から日本に帰ってくるだけで、釣られた魚が、ふたたび海にもどされたほどの安らぎを覚える。

“文化とは、それにくるまれてやすらぐもの。あるいは楽しいもの” と考えたい。
 以下の広義の文化もかわりはない。

 国が富めば、世界一の交響楽団がやってくる。聴くと、楽しさにつつまれる。印象派の華麗な作品群にかこまれて展覧会場で座っている場合も同じである。広義の文化は、心が高められ、しばしば元気が出る。

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私も、昔、仕事でインドネシアのジャカルタに滞在していた時、文化のありがたさというものについて考えさせられたことがある。

そこには、1ヶ月ほど、滞在していたわけだが、仕事が忙しい時は気にならないが、相手先との交渉で、何日間も相手側の返事を待つために無為に待機しなければならなかったことが何度かあった。

暇を紛らすために、安くプレイできるゴルフ場が近くにあったのでよく行ったが、毎日だと飽きてくる。歴史的なモニュメントとか美術館とかがあればいいのだが、当時のジャカルタには我々日本人を癒してくれるような文化的なものはなかった。

その時、文化のありがたさをひしひしと感じた。

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ところで、現在、大阪府では橋本知事の下、全面的に予算の縮小が検討されている。これについては、
私としては、将来の大阪の復興のためにはやむをえないことだと思っている。

しかし、文化的なものまで削減することは危険だ。
文化は一度失うと、その再現には膨大な時間を要するだろう。

例えば、現在、その煽りをうけて国際児童文学館(大阪府吹田市)が存亡の危機にある。同館は、手塚治虫文化賞・特別賞に決まっている施設である。

関係者は、「単なる児童文学館ではない。児童文化の総合資料センターだ」と主張し、
存続を訴えているが・・・・・・・

また、“中小企業のものづくり支援”などを行う体制があるというのも、大阪の誇る一つの文化なのだが、
これを支援する中小企業支援センターについても、同様に存亡の危機にさらされている。

橋本府政は、「文化を消す失政」だけは思いとどまって欲しいものだ。

 

関連ブログ:橋本府政下における中小企業施策