右脳的…とは信じる力!?

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クライアントとの楽しい対話から
 今、某国立大学運動部の創部50周年の記念誌を編集中なのですが、終盤になって、追加で新たに『右脳的スポーツ論』なるものの章を立ててこられたので、久々お客様と少しの時間、談議する時間がもてました。
 私の仕事もここのところ、見積もりや作業の工程上のことの事務的な話に終始していて、考えることと言えば、事業としての営業戦略やシステム化などのことばかりが頭脳を占領してて面白くなかったので、ちょうどいい刺激になりました。

現状分析なんかほとんど役にたたない。
 今まで、スポーツでも戦略を立てる際の基礎として、連続する運動を要素に還元し再構成するという「科学的還元主義」(左脳的)でやってきたけど、これで結果を出すにはすごい非効率である…ということが原理的に分かりつつある時代だという話題でした。 『右脳的』とは簡単に言えば、物事を文学や哲学の視点で考えようと言うことなのですが、つまり、個々を分析的にとらえるのではなく、人間の心の動き「意識」も含めて統合的に考え(捉え)る時代、ということでしょうか。最近この『右脳的』という言葉がよく使われるようになりました。『般若心経は量子物理学だ 』という考えの好きな私にとっては面白いテーマでした。
 あらゆる複雑な事象を記述する『複雑系』という科学があります。物理学から始まり医学・生物学・コンピュータ科学から経済学などの全ての分野にわたって研究されてますが、よく考えれば日常のほとんどの事象はこの複雑系にあたり、その結果は予測困難な量子論的確率論でしかない。それが分かれば、そんなフィールドでいくら考えてもいい答えは出ようはずもない。 

『信じる者は救われる』を科学する
 一方やり方によってほぼ100%確実に結果を出せる人がいるわけで、その殆どが『右脳的』と言われている人です。『笑っているだけで金が儲かる』などという人もその部類で、その人にとっては確実にそのことを知っている(思いこんでいるのではなく)のです。実は人間には宇宙を司る統合的なフィールドを持ち得るということがわかってきたようです。『右脳的』と表現されているものは、実は「意識」を記述するものだと私は思っていて、これから「意識」をどう扱うかがキーワードになると思います。なんだか書いていて、訳わからんようになってきましたが、要するに「努力」「愛」「システム」「経済」など、がんじがらめになっている作者不詳で検証不能なあらゆる「概念」を一度チャラにして量子飛躍(意識転換)をすれば、もっとシンプルに自由とパワーを得るということでしょう。『信じる者は救われる』の科学。そう思うと、あれこれ複雑に考えることほどバカらしいことはないように思えてきます。