Pディレクターは芸術家ではありません

  • 投稿者:  
  • 表示回数 2,548


ディレクターが「作家」とよくおこす「もめごと」
 印刷物を扱っていて、絵画や写真集などを出版するとき、中途半端なディレクターが「作家」と「製版オペレータ」の狭間でよく起こす「もめ事」があります。
 作家が自分の作品集をつくるということで作品を持ち込まれる際に、よくカラー雑誌やパンフに掲載された自分のページを持ってこられて、このトーンで作って欲しいと言われることがあります。こんな場合、作家の『言葉通り』をオペレーターに指示して、そのまま本を作ったりしたらほとんど失敗します。

もともと原画とは違うものだけど…
 印刷物にするために原画を製版化するとき、どんな場合でもほとんど100%画像を補整して使用します。掲載されるメディアの目的によって同じ作品でも全体のインパクトと印象が驚くほど変わってくるので、経験上、我々は同じ作品データでもシチュエーションによって補正し直し、そのまま転用・共用することはありません。
 製版した時点でもともと作品原画と違うものになっているのですが、雑誌などは、写真や絵があったとしても他の要素とのバランスが必要で、平均的な基準を設けて製版するのが常識です。しかし、作品そのものに比重をおく印刷物(画集・写真集など)はこの製版方法ではダメで、レンジの限界まで拾わなければページに迫力がでないことが経験上、見えています。

解釈の違いなんてもんじゃない
 ですが、普通に印刷物を扱っている製版オペレーターはこんな解釈は仕事でもなく、よほどの指示がなければそんなことは絶対にしません。また作家のほうも、作品自体のこだわりはあっても見る位置の違いの問題がわからない人も結構多くて、各工程ごとにはOKを出し続けながらも、結局刷り上がった印刷物を見て、「全く自分の作品とは思えない」とまで抗議します。一方オペレーターは、数値まで示して、細部まで「作家」の指示通りで完璧だと言い張り、つまり双方の立場でそれぞれ正しいから話はかみ合いません。
 フィッシャーの「だまし絵」を見て、だまされた者同士が議論しているみたいなも
ので、ほとんどマンガです。これは多少の色やコントラストの違いとかをいっているのではなく、人は雑誌を読むときと、あるいは美術館で絵をじっと眺めているとき、いろんな立場でどういう見方をしているかを考えることであって、難しく言えば、見る人の視覚を司る「脳の構造」を把握しなければならない…というものです。 当然、印刷や製版の技術的問題、また作品自体の問題でもなく、もちろん芸術性の問題でもありません。

見る人の視点をわすれた論争
 一番悪いのはこのことの意味がわからないで指示しているディレクターです。しかもデザイン経験の豊富な人こそ、目線を作家と同じ位置において論議し「意味のないこだわり」などとトンチンカンなことを言って仕事を終わらせてしまうケースが多いのです。
 私たちは、写真製版にかぎらず、印刷物を通じて、お客様の『言葉にない』意図を把握した上で、人がどう見るか、どう読んで欲しいか、あるいはこう読んでもらうためにはどうやるかだけを考える職人で、決して芸術家ではありませんし、芸術家のなりそこないで仕方なくやっているのでもないのです。