45年間の復習

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情報デザインに詳しいW辺さんの大学向けブログで勧めていた、梅棹 忠夫氏の情報の文明学を、今さらながら読んでいます.
内容は情報化社会の時代を予言して解説したもので、彼が「情報産業」という言葉の名付け親でもあります.
メタファーも面白く、第一次産業を食べ物に関連するものとして「内胚葉産業」、第二次産業、第三次産業を物質とエネルギー(運動)として「中胚葉産業」、情報産業を神経系にたとえて「外胚葉産業」と、発生学的に捉えています.

本人は意識しているかどうかは解りませんが、情報という言葉をつかってデザインの価値をよく表現してあり、情報に価値を置く情報化社会=「デザインの価値が向上する社会」と置き換えて読むと解りやすくなります.
また、その経済的価値(価格)を、工業化によって得られた物質とエネルギーではかる方法では破綻がくることを的確に述べてあり、未だに現場レベルでデザインの価値が良く理解されない一因になっていることを連想します.

なによりスゴイのが、これだけの内容を1963年(正確には1962年に脱稿して翌年の正月に発表)に書かれていたということ.インターネットはその原形のARPANETすら誕生していない頃に、情報化時代を的確に予言していたのは驚きです.

日本はもうそれ以外には道はなさそうです。だから、そういう「情報の生産」をする。物質の生産はもうほかの地域にどんどんうつってゆき、それにまかせる。ところが、物質の生産自身も、情報が生産され処理されるところでひじょうに能率的にすすむということもあるのです。これでだいたい日本は、二十一世紀になんとか生きのびられる。(1980年のインタビューより)

この言葉も、現在の海外生産が進む中で情報化による生産性の向上や、デザインなどによる定性的な価値の向上を示唆しています.
45年も前にこの様な論文があったのに、逆に書かれていること以上の成果が無いのは我々の怠慢かもしれません.
某大学で後期はコミュニケーション系の軽い授業を担当していますが、脱線してこれをテキストにしてみようか、、、、